コラム

 WACNET.では広報誌"WACNET NEWS"を毎月発刊しております。
本ページでは、WACNET NEWSで連載しているコラムを紹介します。

「いのちの循環 日本人として地域に生きる」(WACNETNEWS2024年11月号)

 ひとりひとりの生きた証としての人生の営みは、まるで泡のようだ。大きな泡もあれば可愛い泡もある。白く清らかな泡もあれば、どす黒い泡もある。しかし、最後は、一瞬にしてすべて消滅して、みんな同じように自然に帰っていく。そこに未練は存在しない。
 今回は、いのちをテーマに考えてみたい。ひとりひとりの今があるのは、命のリレーの結果、そこにひとりひとりの自分自身がいる。生命体としてのひとは、38億年前の始祖から始まり、ひまわり、ゴリラ、カワセミなど地球上の数千万種の多様な生き物も同じように同じ仲間として進化を遂げ現在に至っている。いのちをつなぐことは、ある意味宿命であり役割でもある。
 私たちひとのルーツ「ホモサピエンス」は、アフリカに誕生した。同じ仲間としては、ネアンデルタール人が勢力を伸ばし、生きもの社会の弱肉強食を生き抜いていた。ホモサピエンスは、体格的におとり、群れて生きることを選択する。その生活は狩猟採集生活で、移動することや動物を求めて狩りをしたり、果物や種子植物の採集が主な仕事であった。集団は週15時間程度働き、後は、仲間との団欒や、興味あることに時間を費やした。また、集団を守ることも大きな仕事であった。今の、私たちと比べて、小集団の生活は、能力を伸ばしたり、語り合ったり、創造したりする生活はゆとりがあり、ずっと豊かではないだろうか。
 私たちは今、本当に生きることに対し、ひとりひとりが、人生という最高の時間を、生まれてきた意味を知り、本人の役割りを知って燃焼させているだろうか。確かに、物質的には、豊かにはなっているが、精神性はどうだろうか。ヨーロッパより古い歴史をもつ日本列島、長い長い時間をかけて精神性を育てあげ、ひとつの文化とした国日本。
 大航海時代、産業革命は、地球上に、ホモサピエンスが長い年月をかけて、その地域の風土と気候に合わせて築いた文明と秩序を崩壊していった。マヤ文明もインカ文明もアメリカインディアンもアポリジニも今は見る影もない。明治維新、私たちの国は、滅亡するか存続させるか岐路に立つ。そして選択したのが、富国強兵であった。日本人の徳を、武士道と精神性に求めて散った西南の役の西郷隆盛は、後進への声なきメッセンジャーでもあった。
 その後、日本のがんばりはすごかった。しかし、そのがんばりは西欧列強に、不安を与える種をまく。アジアを自分たちで守ろうとする大東亜共栄圏構想。ターニングポイントがやってくる。第2次世界大戦、イギリスチャーチル首相は、アメリカをヨーロッパ戦線に参戦させたく秘策を練る。ルーズベルト大統領が動く。まんまと罠にはまり真珠湾攻撃で、大東亜戦争が始まり1945年広島・長崎原爆投下、そして終戦。ここでも、日本人の知が動く。終末期の学徒動員は国の存続を願い3000人以上が特攻隊として志願する。それは、未曽有の国難の中で、日本の繁栄を望む純粋な気持ちこそが、彼らの気持ちであったのではなかろうか。
 そして世界は今、産業革命以来の大きな転換期にある。
 私たちひとりひとりに求められていることは、すべてをリセットして、ひとりひとり自分自身の現在地と未来について、静かな場所でじっくり考えてみることが必要がある。ひとりひとり自分自身のブラッシュアップに心がけ、好きなこと、興味のあること、自分がやりたいことを、過去についても幼児期、少年期、青年期、壮年期、成熟期に分けてしっかり書き出してみる。もうそこまで、好きなことで活躍できる社会が来ている。ドジャースの大谷翔平や将棋の藤井聡太竜王・名人(七冠)に続けと……。
 また、日本のこと、日本人のことをもう一度しっかり知ること。ひとりひとり自分自身の、ご先祖様、さらにご先祖様と縦ラインのルーツの地も訪れたりして、歴史も一緒にしっかり学びかえす。私たちがここに存在することは、ずっと繋いでくれた多くの人々がいることを、体幹できるとさらに良い。将来ひとりひとり自分自身を表現する際に、ルーツは大切なアイテムとなる。
 今までの社会は、お金、競争社会、学歴、低価格、人間ロボット、大量生産、大量販売、格差、金融バブルなど、経済のパイが膨らみ続ける社会をつくってきた。しかし、地球は悲鳴をあげ、温暖化、気候変動と、私たちにSOSを発信。人間以外の生命体も、その変化に対して変化を続けている。世界はそれに気づいて、声を上げているが、日本は、動こうとしない。
 いのちは循環する。私たちひとりひとりは、人間が最上位の存在と考えやすいが、私たちも、始祖のDNAからは、すべての生き物は、人間も含めてさかのぼれば同じルーツにある。日本には、「足るを知る者は富む」(老子)=満足をすることを知っている者は、例え貧しくてとも精神的には豊かで、幸福であるということ。の格言がある。経済がどこまでも進行する社会ではなく、日本が江戸時代まで体験してきたエコ社会であり、生きもの(ひと)として、生きていく上での必要な生きもの(動物・植物)は、摂取するが、どこまでもむさぼらない。取りつくさない。さらに、「利他の精神」(仏教)=自分のことよりも他人のために尽くすこと、他人の利益を優先して行動すること。も大切にしたい。
 11月には、アメリカ大統領選(11/5)で世界が変わり、国政衆議院選(10/27)と豊橋市長選(11/10)もまもなく結果がでる大きな節目にあるが、もっとも変わらなければならないのは、市民ひとりひとりが、次の日本・地域の担い手としての意識改革にあると考える。(脱依存体質)そして脱産業革命、脱利権構造、脱中央集権をイメージする。学歴○×社会ではなく、誰もが役割を発揮できる社会(障がい者、高齢者、母子など)、手間はかかるが、ひとにやさしい地域共生き社会(地域創生)の実現を図り、住みごこちの良い豊橋東三河を描いていきたい。 
加藤政実 

「生まれ変われ地域社会‼ 豊橋・東三河まちづくりデザイン会議」(WACNETNEWS2024年9月号)

 極限の暑さなのか。那覇が31℃で名古屋、東京が38℃、中禅寺湖では熊が泳ぎ、農家の野菜をむさぼり、旅館の天窓から侵入した熊は厨房を荒らし、森の中に逃げ去る姿がフォーカスされた。東京はヒートアイランド、雨が降らないと雨乞いしたら、いきなり台風が東京東日本を直撃する。梅雨のない北海道に梅雨があったり、どこまでも日本列島は極暑が続く。
 気象庁は初めて「巨大地震注意」を発表し、南海トラフ巨大地震M8クラス死者32万人を予報する。想定外の出来事が次々起こるこの現象に、人々の思考はついて行っていない。
 関東ロームの大地は畑作に恵まれ、そば、サツマイモ、ニンジン、大根、ゴボウ、里いもなど土物の栽培が盛んであった。利根川があり、渡良瀬川、荒川・多摩川がある。農家が点在し、農地がただ広がる。その先の森は、三国山脈や足尾山地、関東山地につながる。森と畑は降った雨の保水地であり、植物たちの育っていく糧であり、気温を調節する機能を有していた。ひととシカやクマなど動物たちとは境界があり、お互いに自然の中で共に生きていくすべを知っていた。しかし、今は人の住む範囲はどんどん広がり都市化して、東京は鉄とコンクリート、アスファルトの無機質な空間が果てしなく拡がっている。
 考古学の世界では、縄文時代が注目される。私たちの日本人の本質である日本文化は、旧石器時代(5万年前から土器が見つかった1万5000年前)に確認することができる。遺跡の数も世界一の約1万カ所以上あり、なかには確定されていないが12万年前のものもある。そして4万年前には、北海道や東北を中心に、日本人は日本列島に住み、集落も1万カ所前後あった。各地から渡来した人たちは入植した土地での生活を始める。この当時の日本の遺跡は、肉食をしている狩猟民族であるにも関わらず定住型で、すでに石器をつくるための工場から、素材を確保するルートまでできていた。この集落のあり方そのものに、日本的特徴を感じる。それは、私たちのDNAにしっかり埋め込まれている。
 昭和から100年、戦後(1945)から80年のターニングポイントにある。今も経済が政治を覆う時代が続いている。あてがわれたモノというおもちゃは、車であり、衣食住であり、利便性であり、お金で買えるモノ、一時の満足は得られても、未来のこどもたち、孫たちに今のままで良いのかといわれると答えはノーとなる。
 私たちの国をとりもどしていく必要がある。それには、国として自立した国になること。そして、私たちは、ルーツである八百万の神々が住む地方の再生。国の言葉で言えば地方創生が必要とされる。それは、私たち自身が、他者に依存してモノをまかせるのではなく、自らがどうしたいか。どうなりたいか。をしっかり発言して、議論して解決していくことが重要になる。かつて、この日本列島の創世記に、部落を創っていった熱い人々が原点にある。
 国の制度は三権分立で議院内閣制をとり、地方自治では、市長を公選することからも、大統領制に近い存在にあるが、市長へ直接、問題課題を抱える市民の声が届く仕組みにはなっていない現状がある。市議会議員に問題があるということではなく、すごいスピードで社会が変化する時代に、今の議会でのスピード感が伴わないことが原因と考えられる。この現実を顧み、私たちは東三河をひとつの地域と考え、市民による市民のための豊橋・東三河まちづくりの集い「豊橋・東三河まちづくりデザイン会議」を起草した。
 従来まちづくりというと、空間デザイナーや建築士の仕事のように感じるが、私たちは、まちづくりに係る市民一人ひとりから行政や企業・団体などすべてのステークスホルダーがクリエイターとして参加して初めてできる仕事と捉えている。地域の問題意識をもつ人々が集まり、この地域の未来を考え、地域に暮らす人々や働く人々が交流し意見交換する機会をつくる。既成概念や規制にとらわれずに自由闊達な意見交換ができる場の創造になる。出生率のこと、子育てのこと、ジェンダーフリーのこと、高齢者の終活のこと、老老介護のこと、障がい者の自立、生活困窮者のこと、地震や災害時の緊急対応のこと、起業のこと、就労や就職のことなどテーマは限りなく広がっていく。心の不安や抱える悩みを世代と機関を越えて自分たちの意見として提言する。きっと何かが見つかるはずだ。
 私たちは、3つの大きな概念で描く。1.未来のまちはダイバシティ「誰ひとり取り残さない地域社会をつくりたい」2.クリエイティブ「市民ひとりひとりがクリエイターになる」3.政治・経済・社会=まちづくり「空間からひと、ライフデザインまで地域環境すべてがまちづくり」
 この考えを支える行動指針として、1.市民に負担のかかる増税はしない。それより先に、現在の慣例による税の配分見直しによる財政改革を行うこと。2.地域循環型経済の遂行。
 グローバリゼーションは国内他地域へ、海外へとお金が東三河から出ていってしまう。地場企業を含めて特に衣食住、伝統品など、東三河の地元企業を見直し育成を図ること。さらに、ものづくりからの展開で、IT情報産業のオリジナル拠点づくりをする。その中から10年後20年後のグローバル企業を生み出していく。3.東三河人口100万人をめざす。循環型経済が地元の雇用を増やす。国の人口減の政策に合わせるのではなく、今後、世界は国家間から都市間、地域間の交流が中心に、ひとの息づかいが、感じられる共生き社会に向かう。ひとにやさしいまちをイメージしてみてはどうだろうか。
 日本の社会は、小さな集落が長い年月をかけて、あえて戦いを好まず、みんなで生きる道を歩いてきた世界でもまれな地域である。そのアイデンティティーを活かしてこれからも歩んで行きたいものである。神道に仏教と儒教がフュージョンした国であり、今も和食の中に洋食文化があったり、すでに私たちの祖先は、外から入ってくる文化を受入れ、さらにそれを発展させてきた歴史がある。ここ80年、さかのぼれば明治維新以後、別の道を歩んではきたが、建物や風俗や街並みは、見るに堪えないが、潜在意識は、ひとりひとりの身体を通して残っている。次の世代のために、その次の世代のために、もう一度地域を創りなおしていこうではありませんか。過去のダイバシティを未来のダイバシティにつなぐ。豊橋市、東三河が一体となり未来をデザインしていくイメージを想像してみてはどうでしょうか。 
加藤政実 
※詳しい情報は豊橋・まちづくりデザイン会議、市民のためのワークショップ専用リーフレット参照ください
 

「「J・ロバート・オッペンハイマー」その光と影」(WACNETNEWS2024年7月号)

 どうしても映画館で見たい映画があった。「オッペンハイマー」クリストファー・ノーマンの劇場長編作品の12本目。いつも通り本人が脚本を書き制作監督を行う。本年度アカデミー賞最多7部門受賞作品である。ほぼ10年ぶり、シネコンでラスト2週間の夜、ひとりで出かける。殺風景なぐらい人がいない。チケット売り場も自販機で、館内の売り場も1カ所に制限され、エレベーターも片側が動かない状況であった。劇場内は、私を除いてカップル1組の計3名。一番中央の席に陣取った。
 65ミリカメラで捉える映像のほとんどが、室内の人間模様であることに驚かされる。本作のために開発されて65ミリカメラ用モノクロフィルムが輝きを放つ。主体的な感情のうねりに沿った再構築は、登場人物の意識の内部へと、一人一人を引き込んでいく。スリリングな体験を得る。一方の視座オッペンハイマー、1人称で語られるシーンはカラーで表現され、対立極の戦後、宿敵アメリカ原子力委員会委員長の海軍少佐ルイス・ストローズのシーンはモノクロで表現される。核分裂や核融合の様は、終始画面では音のレベルのアップダウンが場面の効果的演出に加わる。オッペンハイマーが「科学」「探求」軸とすれば、ストローズは「世俗」軸で、どこまでもパワーゲームの中で動く人間「政治」軸といえる。異質の価値観が同一世界で交差と衝突を繰り返す現代をも示唆するメッセージが多く含まれていた。本人がイメージして脚本をつくり、それを映像で実現する。ノーマン監督ならではの刺激的な作品である。
 素顔の「オッペンハイマー」を追ってみたい。1904年4月22日ドイツからのユダヤ系移民家庭の長男としてニューヨークに生まれる。学業に対しては何の問題もないオッペンハイマーであったが、母には心配の種が尽きない少年であったようだ。同じ学齢の子どもとはほとんど遊ばない。友人は少なく、運動神経は無いに等しい。動作はぎこちなく、すぐ顔を赤らめる癖があった。周りからのあだ名は「ブービー」(間抜け)。どこにでもいるいじめられるタイプの典型ではないだろうか。18才でハーバード大学入学化学専攻。21才ハーバードを3年で卒業後、イギリスケンブリッジ大学に留学する。この頃、統合失調症と診断される。また、理論物理学者のニールス・ボーアとの出会いもあった。
␣ オッペンハイマーが生きた時代は大激動の時代と重なる。彼がカリフォルニア大学バークレー校で、教鞭をとり始めたのは大恐慌の始まった1929年。大恐慌とは、同年秋の株価暴落をきっかけにしたアメリカ史上最大の経済恐慌である。恐慌は世界に広がる。第一次世界大戦の賠償金支払いで行き詰まるドイツに現れたのがヒトラー率いるナチス。ナチスは第二次世界大戦を起こし、当初、戦況を優位に進める。このドイツに負けまいと1945年7月、オッペンハイマーが完成を急いだ原爆は、完成後日本を降伏させるだけでなく、一瞬にしてアメリカをかつてない超大国に押し上げる。しかし、4年後にソ連もまた核実験を成功させる。米ソが核兵器で脅し合う冷戦の中で反共思想がアメリカでも一気に広がっていく。
␣ストーリーを少し前に戻そう。1942年政府の極秘プロジェクト「マンハッタン計画」が始動する。アメリカ軍が進めた原子爆弾製造計画である。ナチスドイツが原爆を開発する恐れがあると亡命科学者から警告を受けたルーズベルト大統領が極秘裏に命じ、研究で先行していたイギリスと協力して1942年夏からグローブス准将を責任者として計画が進む。計画の中心として原爆を設計し、成功させたのがニューメキシコ州のロスアラモス研究所だった。
␣ロスアラモス研究所の初代所長となったオッペンハイマーは、街をつくり、研究者を各大学研究所から集め、民主的なマネジメントを行う。かなりのストレスを感じながらも自らの自己成長を図っていく。その目的は、科学者としての、目標に向かっての純粋な行動であった。そして、1945年7月16日アメリカ国内で行われた人類初の核実験「トリニティ」は成功する。41才であった。
␣8月6日広島に原子爆弾が投下される、(リトルボーイ)、続く9日に長崎に原子爆弾が投下される。(ファットマン)8月14日、日本はポツダム宣言受諾し、9月2日に降伏文書に調印して第二次世界大戦は終戦する。
␣1947年からプリンストン高等研究所の3代所長となる。「どのような無作法、ユーモア、誇張をもってしても消すことのできない本質的な意味において、物理学者は罪を知った。」のスピーチを残す。また、新設された原子力委員会(AEC)の議長を6年間務める。加熱する軍拡競争の中で、核兵器の国際的管理を呼びかけ、水爆をはじめとする核開発に反対の意を示す。
␣1950年、冷戦を背景に赤狩りの嵐が吹き荒れたこの頃、50才でソ連のスパイ容疑をかけられ、「オッペンハイマー聴聞会」(クローズ)が開かれる。水爆を推進していたAEC委員のひとりストローズの怒りを買いFBIも加わり、オッペンハイマーに「共産主義者」のレッテルが貼られる。
␣1954年、聴聞会でスパイ容疑の告訴を受けたオッペンハイマーは、アイゼンハワー大統領命により一切の国家機密から隔離、政府公職追放が決定する。以後、オッペンハイマーは危険人物と断定され、FBIによる尾行や盗聴など晩年まで厳しい管理下に置かれる。
␣1967年2月18日ニュージャージー州の自宅で死去。
␣1989年、カンヌ国際映画祭で監督今村昌平は「黒い雨」を出品する。今回の作品に原爆投下場面やその後の状況を伝える情報は一切ない。あくまでもオッペンハイマーの個人のフィルターを通してのストーリーで、彼の心の動きが投下前と後では真逆なポジションに変化し本人は自らその事実を受容している。
␣ヒロシマ・ナガサキから80年。戦争はしないと憲法に誓った唯一の被爆国日本でさえ、原発の処理水を海に流し込む。世界の国々は、核をちらすかせながら、互いに牽制する。戦争と戦争の間の人間の歴史、言い換えれば、戦争を起こすことで、経済が回ること。今や、その秘密を誰もが知っている。 
加藤政実 

「お金からサービスへ ベーシックサービスが地域をしあわせにする‼」(WACNETNEWS2024年6月号)

␣今話題のベーシックインカムとは、年齢・性別・所得などに関わらず、すべての国民に一定の金額を支給する制度で、ベーシック(基本)とインカム(収入)の合成語で、最低生活保障をいう。日本維新の会も重点施策として上げているが、ハードルはかなり高い。
␣社会保障制度は、一定の条件を満たす人に、一定の保証を提供するシステムで、例えば、年金であれば社会保険料をおさめた人が対象となり、生活保護であれば収入が一定を下回ること、失業保険であれば失業した場合の利用となる。ベーシックインカムの対象がすべての人へが大きな違いといえる。
␣海外では、フィンランド、スペイン、カナダ、ドイツなどで試験的導入し、スイスでは、国民投票まで行われたが、企業や労組の反対にあい否決されている。アメリカでは、ロサンゼルス、アトランタ、デンバーを含む11都市で試験導入された。太平洋、オーストラリア北東に位置する地上の楽園ナウル共和国。1990年当時国民一人あたりのGDPトップであったこの国は、働くことを忘れ消費国となり、やがて破綻した。
␣海外の事例から考えてみると、医療や社会保障制度が未発達な国では、比較的導入はしやすいが、働く意味やモチベーション維持、人間教育等が必要で、単体での導入には危険があるように思われる。
␣一方、日本での導入を考える時、生活保護を受ける水準ではないとされる人たち(ワーキングプア)の相対的貧困率の解消には有効であるが、今は時期早尚といえる。現在の社会保障費37.7兆円の約4倍150兆円の支出をどこから持ってくるのか。財源が一番の問題といえる。その前に、大胆な税収体系の見直しと、大企業と国会議員の癒着体質の改善、国民に至っては政治を他人任せとせず、民主主義を確立する。ひとり一人今の仕事や生活、家族や地域社会もみんな繋がっていると自覚する必要がある。
␣日本の福祉制度は、本当に国民に寄り添っているのか。ひとり一人は、大台地の上で一生の喜怒哀楽を生きる。やがて最後は一人となり、大海原や樹海にひとり崖から身をなげる。残念でたまらない。インカムではなく、サービスとして多くの人たちを、救うことはできないのか。一部の人に手立てをするサービスではなく、すべてをインクルーシブするシステムに変える。「ベーシックサービス」として、現在の福祉制度を取り込むことはできないか。
␣税を財源として、すべての人々に、教育、医療、介護、子育て、障がい福祉を提供するサービスに切り替えていく。
␣こどもたちに親の所得により、給食費無償やその他サービスを施すことは、逆にこどもたちの世界で差別を生むことになる。世代を超えた生活困窮者支援をしていく中で感じることは、本人の現在の行状は、こども時代の親子の愛情不足や、考え方の違いや学歴教育不足を感じる。暴力も外に向かった時代から、本人の内面に向かうリストカットが増えている。私たちひとりが、変わらない世界で、苦しむのではなく、自ら発火点となり、未来を創り変えていこうではないですか。
␣ベーシックサービスがすべての人々に保障されれば、病気をしても、失業をしても、だれもがより人間らしい暮らしを手に入れることができる。そして、暮らしを保障しあう社会ができれば、人間の尊厳が公平にでき、自由を手にすることができるようになる。所得と関係なくすべての人々の暮らしが保障されれば、助けてもらう領域は小さくなり、医療や介護、教育の自己負担も軽くなる。そうすれば生活保護の中の医療扶助、介護扶助、教育扶助はいらなくなる。
␣さらに、お金による救済は人間の心に屈辱を刻み込む。救済してくれる人たちの気分一つで未来が左右されることで、他者への服従を強いられることになる。お金をサービスに置きかえることで、誰かを救済する社会でなく、みんなが権利として、他者と区別されずに堂々とサービスを使える社会に変えていくべきだと考える。
つぎに、財源手立てを考えてみたい。中心は消費税増税から賄う。その他大企業優遇制度の見直し、高額所得者税制度見直し、高額所得者寄付免除の拡大となる。
 何故、消費税なのかというと、もうすでに中央集権は終わり、ポスト資本主義の時代へ移っている。これからのモデル国家は、スイス連邦。国防と外交以外は、26州が連邦レベルの政治と予算機能を持つ。日本でいえば、江戸時代の構図がわかりやすい。各藩が自己運営したと考えて良い。永世中立と軍備を持ち、ヨーロッパの避暑地であり観光地。国連の15の専門機関(IMF,ILO,WHO等)世界経済フォーラム、世界貿易機関など第3機関を多数おく。産業は観光と高付加価値商品。一時は日本のセイコーに時計業界の主導権を譲るが、今は高額品ローレックス等で生き返っている。
 日本が生まれ変わるには、地域創生(共生き志本主義)で私たちの培ってきた地域風土を見直していく。古民家から棚田、味噌・醤油・清酒発酵文化、芸術芸能・文化まで現代によみがえさせる。製造業は、特徴あるマニアックな産業は残るが、生成AI革命でさらにロボット化が進めばトヨタ国内従業員数は、現在の70,056人から1,000人程度まで減ることであろう。観光とマニアックな製造業、医療介護・健康飲食などサービス業で、地域にインバウンド客を生み出す。日本が世界のスイスになる。結果、消費税が財源となる。
 さらに想えば、世代男女を問わず起業家への税の優遇措置と、海外企業の本社機能設置にあたり法人税の優遇措置を加えるとさらに効果があがる。
 最後に豊橋市は中核市である。特区申請もできるポジションにもある。権限をこの地域のため市民のために大胆に行動に移して欲しい。
␣中核市とは、人口20万人以上の要件を満たす規模や能力のある都市で事務権限を強化することで、できるだけ住民に身近なポジションで行政サービスを行う。県内には、他豊田市、岡崎市、一宮市があり、全国ランキング1位は兵庫県明石市(人口増加率№1)。日本総研が行う健康・文化・仕事・生活・教育5分野で見る中核市幸福度ランキング2022版によると断トツのトップは豊田市(連続5回)4位岡崎市が続く。 
加藤政実

「アートとの出会いから 新しい人生を歩み始めて欲しい!」(WACNETNEWS2024年5月号)

 秋田市の棟方志功記念館が今年3月31日で閉館した。自らゴッホになると宣言して独自の木版画を切り開いた世界的版画家棟方志功。1975年開館の同館は、版画や油絵2000点あまりが収蔵されていた。残念であるがしかたないが、時代は変わるのだ。
一方、目標とされたフィンセント・ファン・ゴッホは、数多くの精神疾患を抱え創作に励み37才で亡くなるまで、10年間で約900点の絵画と1100点のドローイングを完成させた。最近の研究では、彼の症状から統合失調症、双極性障害、梅毒、書痙、ゲシュウィンド症候群、側頭葉てんかんなど多くの病名が複合することが指摘されている。
 私たちはここ20年来障がい者アート活動を続けている。アートで街を、地域を変えることができないか。地域に世界一のアートシーンができないか。模索を続け、経済でない、アート・デザインが次の時代必ずやってくると信じて活動を続ける。
 しかし、ふと私は何をやっているのかと考えることがある。無駄なことは無いように思うが、かなり遠回りしているような気もする。しかも直接的な声を聞くこともなく反応も鈍いままだ。自分の中では普通なことが、相手に伝わらないもどかしさ、寂しさを感じる。
 さらにこの国の閉塞感はただならない。この国は、外圧でないと変わらないのか。変わることへの抵抗感はすごい力が必要だ。常に他人を意識して、その圧力に屈していく。同調圧力が強く社会を覆う。
2003年地域で活動するミュージシャンやバンドと障がいミュージシャンをつなぐ「ゆいフィールコンサート」(10年で休止)をスタートさせる。その後法人内にWAC合唱団やWACパーカッションバンドそして生活介護ViViで作画、作陶活動等を開始する。2010年精神の友人からのリクエストで始まった全国ミュージックコンテスト「とよはし音楽祭」(今年で15年)、近江学園、グロー、愛成会、光林会るんびにい美術館、京都ふしみ学園など全国の障がい者アート活動団体を招へいする形で始まった「企画展アウトサイダーアート」(今年で13年)、国内ばかりでなく海外をターゲットとしたコンテスト「トヨハシブリュットアート」(今年で6年。発表はアウトサイダーアート展)、アートへの機会を創出する「一枚のはがきアートコンテスト」(今年で14年)がある。
 しかし、現在未完の事業が二つ存在する。一つは、2011年3月11日の東日本大震災と福島原発事故を契機に当時10月に着想したミュージカル「ええじゃないか!ええじゃないか!ミライへ」目標の2020年には完成しておらず、再チャレンジで2030年に変更を余儀なくされたこと。二つ目は、2012年東三河エリア内に山・森・海・街・里の5つの名前を付けたミュージアム・美術館をつくるということ。2011年当時日本財団補助金で熱海、豊橋、石垣島が候補に上がるが、石巻山にある建物の直接現地調査も終えたが、市役所の協力が得られず断念することとなる。誠に残念であった。現在市内予定3カ所の場所確保はほぼ終わっているが、建物外内装設備工事費用の捻出ができず、手つかずの状態で、法人協賛や個人寄付、クラウドファンディングなど資金調達の真只中にある。現在は法人内WACアグリカフェとWACプラス内で一部ギャラリーとして展示されている。
今、私たちがめざすのは、障がい者アート(芸術)にごく普通の市民が、地域に住む人々が、アートに出会うことで、今の自分自身の生き方を見直し、新しい人生を歩み始めていく。本人の生き方を変え、自身の人生に目覚めていくとの願いが込められている。
障がい者ひとりひとりは、生まれた時であれ、中途であれ、障がいを抱え、自分自身ができないことを認めて、受容することで新たな人生が始まる。そこには、嘘も偽りもない。それは、人間ひとりひとりに例えれば、こどもの頃とよく似ている。純粋でキラキラしていて未来はすぐそこにある。しかし、大人になることと、引き換えに枠の中での生活を余儀なくされ、ただ生きるのみの生活に人生は流転していく。もう一度新しいこれからにチェンジ、チャレンジ、チャンス(WACNET.スローガン)する。そんな出会いにしてほしい。
豊橋・東三河の地域を活かす戦略に、景観風土を守ることがある。円安の影響もあり、海外からのインバウンドは活況が続く。この流れは、一長一短に変化しない。グローバル経済が日本を巻き込んでいるためで、一国で完結しない経済は、サプライチェーンを生み、このシステムに身を置いている限り、この勢いは止まらなくどこまでも大きくなっていく。
 現在の食料自給率38%は世界的に低く、多くの食料を輸入に頼るわが国は、輸送コストが多くかかり、国内生産の増強を図ることが必要で、但し自然栽培など農薬を使わない農業の普及が必須となる。
 アートを意識するまちづくりに、この地域の農業景観は欠かせない。ミュージアム・美術館や自作ミュージカルも欠かせない。さらに、中核市である豊橋市は美しい田園風景やアートあふれるまちづくりは自らの意志で条例としてつくることが可能である。
 今回はあまり触れていないが、インバウンド需要を引き出すには、アートと医農福の連携も是非必要となるだろう。さらに地元作家の発掘や育成、この地域から世界が注目する作家集団を生み出してみたい。そのプロモーション、モノづくり、商品づくりと課題はいっぱいある。
最後に未来へのヒントを繰り返す。
生まれたまま 人生の途上で 障がいを 抱えた人たちがいる
私たちは 一人ひとり 人生への受容をし あるがままの自分を
表現の自由と 感性を爆発させる 彼ら彼女たちから学びたい
人間 ひとり一人には 人生におけるミッションが存在する
今を素直な気持ちで 生きて欲しい          加藤政実 

「ひとり一人が鳥の目をもつ」(WACNETNEWS2024年4月号)

 日本は民主主義国家と言われて久しい。しかし、ヨーロッパやアメリカのように、市民が市民の手で民主主義を勝ち取った国ではない。1945年を機に戦後アメリカより供与された環境にある。経済システムは、資本主義。国の成り立ちとして、何かに委ねて生きることに慣れてきた。村社会であり、天皇制であり、地縁血縁であり、高度成長時の会社組織であった。何かに依存して生きる環境にいごこちが良いと感じる習性があり、人々であった。この人々は、1991年バブル崩壊後、アメリカの経済システムをあらゆる面での受入れが始まる。享楽と守銭奴となった人々は、主体性をアメリカに依存しながら目先の生活に終始してきた。
今必要なのは、ひとり一人が鳥の目をもつこと。地球を鳥の目で見れば、爆竹がヒットしているように、小さな小競り合いが続いている。でも鳥たちに国境もないし、自分たちが生きるための殺戮はあっても、永遠にむさぼることはない。人は何故、欺瞞で貪欲で、戦闘的であるのか。平和とか利他を言葉で発する人はいても、めざす未来に向かい少しずつでも行動を起こす人は多くはいない。春の快い日差しを、浴びながらも、市民ひとり一人が、日本を意識して、地域を想い、行動する時期はすでに到来している。
 今の大きな社会システムはひとりひとりバラバラにされ、孤立して最後はひとりで旅立っていくこと。そんな社会を何とかしようと、果敢に挑んでみたが、残念ながら、やればやるほど泥沼にはまっていく。はなから、今の社会に、そのような行為をするバカはいないという前提なのか。セーフティネット支援の必要な人たちに4年前から相談と生活支援を続けているが、あらゆる時間をさいて活動を続けても、それを支えるべき行政も福祉等関係機関も、小さな一定の枠内で、自分たちの都合の良い理解を続ける。もちろん彼ら彼女らの生活に寄り添ったふりはしても、親身な相談相手とも解決方法の提示もいっこうにない。
 そこに在籍するスタッフは、その指示命令と管理の中では、優秀なスタッフになるのだろう。上司から評価されれば、本人は、正しく行動していることになる。しかし、立ち止まって考えてみると、その行為が、社会で暮らす多様化する一人一人に対して、「しあわせ」を実現するための行為なのかと考えるとかなり疑わしい。狭義の行為としては、正しくはあるが、俯瞰的に捉えてみると、マイナスの行為であったり、まちがいであったりもする。
 事例としてA医療機関のケース、社会的弱者であるSさんの支援をするなかで、窓口は、包括経由であったが、しばらくして緊急入院する。私どもが身元保証をしたが上に、病院で亡くなられてから、入院費の督促のラッシュであった。果ては、公的チエック機関からの高圧的な嫌がらせなどが続いた。また、Bさんのケースの場合、菓子一個の万引きで逮捕され、出所後、社会復帰の中で、私どもが行った身元保証金銭管理を、ある医療機関に入院したことがきっかけとなり、おそらく本人からの一方的な発言をうのみにして、事務方上司と公的機関とで、私どもから支援を剥奪していった。
さらにCさんのケースは、T市の児童養護施設から社会復帰を機に、近くに本人の受入施設がなく、市をまたいで、21年3月から障害障害福祉サービス利用が始まる。日中B型での仕事とグループホームでの生活。1年が過ぎた頃、ホーム内で、支援員への暴力行為があり警察に保護される。その後戻るが、仕事への興味は次第に薄れ、日中での活動が、地域の児童たちと公園で遊ぶことがメインとなる。さらに問題は、ホーム内で高齢入居者を次々ターゲットとしての暴力が始まってしまった。何10回と面談、支援会議を繰り返しても、一向に改善されず、地域住民からのクレームもあり、限界を感じ、受入したT市基幹相談へ相談するが、一向に進展せず、やむなくT市障害福祉課へ直談判する。1月、T市へ戻ることを条件に3月までシェアホームでの預かりを決める。しかし、現在T市基幹相談員は、本人が児童たちと一緒にいたいとの継続を打診してきたが、きっぱりお断りをした。
本人のトラウマとしては、児童期の祖父からの虐待と地域の児童とがそのころの自分にシンクロし、ホーム内で暮らす高齢者と祖父とが幼児期の自分にシンクロしているようにもみえる。悲しいことであるが、このような連想が生まれない彼の同世代らが一緒に生活する環境と、同世代又は30代が指導者であったりする仕事の環境で見守っていきたい。
また、公的機関や福祉の機関では、今ある福祉の仕組みに従順に従うのみでなく、鳥の目の視点が必要ではないだろうか。福祉制度を守ることではなく、国の制度の見直しには時間がかかるとしても、市民が抱える問題課題はスピードを持って解決していく。市民みんなに喜ばれることこそ急務ではないだろうか。特に豊橋市は、意志決定の権限を持っている中核市。決めればできるはずである。
 さらに、民主主義では、幅広く意見を交わす行為は必要であるが、みんなが同じ土壌上にはいない。差別をなくすことも重要であるが、個々の能力も同じととらえることはいかがなものか。しかも、十分にお互いを理解し、納得してうえでのジャッジをお願いしたいものである。資格が万能でないこと、倫理観があっての専門職を、すべての人々は理解すべきであろう。創り上げても、創り上げても永遠に続くものはない。変化に強い人財が、地域を変え、日本を変え世界を変えていくことになる。
※すべての市町、公共機関が同じではなく、岡崎市や瀬戸市のように少しでも市民に寄り添い行動を図る地域もあることは明記しておく。    加藤政実 

「この汽車は」(WACNETNEWS2024年3月号)

この汽車は機関手がいない 終着駅まで止まらない
 終着駅はないかも知れない それは明日かもしれない
 明日になると向こう側から べつの汽車が来るだろう
 べつの汽車は夜すれちがう 汽笛の音をかわすだろう

 ガタガタ必死に走る この汽車は この俺の 汽車は
 こわれそうで こわれない 必死に 走り続ける

 大きな汽笛は 逢えば別れだ 次の日は もう思い出だ
 思い出が すぐ明日の期待に つながるほどに 優しくない
 優しくないけど 走り続ける 右のレールは 僕の身体か
 左のレールは 僕の心か どこまでも 平行線

ガタガタ必死に走る この汽車は この俺の 汽車は
 こわれそうで こわれない 必死に 走り続ける
 平行線は ひよっとすると 右のレールが この僕で 
 左のレールが 愛する君で それでも僕は 満足で

 この汽車は機関手がいない 終着駅まで止まらない
 終着駅はないかも知れない それは明日かもしれない
ガタガタ必死に走る この汽車は この俺の 汽車は
 こわれそうで こわれない 必死に 走り続ける 
今の心境を小椋佳の詩から引用すれば「この汽車は」になるのかな……。

 生涯現役を理想とした人生を選択したのは私自身であり、日々好きなことに追われる毎日は私自身が選んだ道、である限り悔いはない。と言いながらも体の劣化による衰えは隠せない。70を過ぎた3年前名古屋からの帰り、急いでいたわけではないが、冬の寒い日にJR金山駅のプラットホームに向かう階段上段からいきなり転落、前歯4本を失い、足腰の打撲という事故に遭遇する。年を越して慰労に出かけた温泉地で、寒暖の差と、決して飲みすぎではないが、いきなり部屋であおむけ倒れて、救急車もどきの事故にあう。そして昨年2月所用で京都に出かけ、商談先に向かう大宮通薬師町の露地を歩行中に、背後からヤマト運輸の荷物を積んだ台車が接触、つんのめる事故に遭遇する。今もひざと腰に後遺症を抱える。
 突然訪問されたSさん(83才)との出会いは、平成26年11月、息子さんを亡くされひとりであった。その後の人生を伴走する形でサポートするが、残念ながら昨年12月に旅立って行かれた。(享年93才)。
彼は蝶の生態写真を趣味として日本中、蝶を求めて動きまわる写真家が後半生の姿であった。年4回の地元での個展を市内ギャラリーで開催し、多くの鳥、蝶、昆虫、植物を被写体とした。渥美半島の春秋は渡り鳥の季節。鴫や鴨、雁、燕、ホトトギス、サシバ、渡り蝶アサギマダラと500種類以上が天空を舞う。豊橋葦毛湿原、岡崎北山湿地、兵庫県宝塚市丸山湿原群などギフ蝶やミドリシジミ蝶、ヒメイカゲを求めて行動する。出会った頃は、近くは車で、後半は公共交通機関を利用しながら、北は北海道、飯田線沿い天龍村平岡、浜名湖鉄道沿い、伊豆半島、木曽福島開田高原そして和歌山、沖縄、台湾まで採集旅は続いていた。
 令和2年、時は突然やってきた。ひとりで出かけることができたSさんが、スーパーに買い物に出かけ帰れないで、警察に保護されることが3回ほど続いた。最後の決め手は、遠州小國神社、二川普門寺に撮影のため出かけた際に、年齢の割に歩きすぎて、疲労水分不足で転倒右手捻挫。便秘による出血があり、本人の希望で豊橋医療センターに通院し、担当医診察日ではなく一旦自宅に戻るが、当日21時頃悪化して豊橋市民病院に救急搬送される。結果、直腸潰瘍から出血。(病名デュラフォイ潰瘍)そして認知症の発生であった。介護保険の手続きをして、しばらく自宅で生活する。その後に最後のギャラリー作品展示のお手伝いをして、令和4年7月施設入所となる。コロナ禍の時期と重なり、面会はできない状態が続いた。令和5年春の面会では、かなり言動に違和感を感じる状態であった。あの元気な頃のSさんの姿はそこにはなかった。
 人格変容は、認知症の怖さを改めて経験する機会となった。しかし、Sさんの生きぬいた人生、好きなことを最後まで貫き、その途上で老いに負ける形で終わってしまったが、素晴らしい人生であったと想う。
 人間は生きているようで生きていない。私たち一人一人は生と死の間(ハザマ)を、唯一宇宙の神なる存在との約束により限られた命を頂く。その間、一人一人は宇宙の進化と共鳴する。すなわち、学ぶこと、挑戦すること、楽しむことで、社会をより良くするための仕事を続ける。そのために考えることと知恵を授かる。それは永遠のテーマ不老不死ではなく、転生輪廻の中に生きる宿命を負うことになる。
 今、ひとり一人が自由に好きなことに向かい精一杯生きられる時代が来ている。地球を含めた宇宙の進化は、個人ひとりひとりに役割があり、生まれてきた時にすでにミッションは伝えられている。その声に素直に共鳴して行動する。今こそ老若男女を問わず、すべての人が自分自身を成長進化させ、地球を宇宙を進化させる行動に気づいて欲しい。
 人は自己の煩悩や自己正当化の罠に陥りやすい。私たちの一生は、瞬きするがごとく短く瞬間的なものだとしたら、そして、次の世代にバトンを渡すメッセンジャーとしての役目もあるとしたら、身近な日常の魑魅魍魎とした世界に悩んだり苦しんだりするのではなく、俯瞰的に未来を見つめ、一日一日、利他のこころをもって、しかも同時代を生きる同胞と共に、楽しく生き抜いていこうではありませんか。    加藤政実 

「私たちのアイデンティティ縄文、生と死を考えてみたい」(WACNETNEWS2024年2月号)

 今年の元旦は、いきなり能登半島地震から始まり、2日羽田空港での日航機炎上事故と続いた。時代の転換期である今、私たちのアイデンティティ縄文、生と死を考えてみたい。
日本列島は地質学的には、北アメリカプレートとユーラシアプレートがぶつかり、南からはフィリピンプレート、東から太平洋プレートもぶつかることにより、もち上げられてできたのが日本アルプスのフォッサマグナである。その日本のへその部分にある諏訪湖そして八ヶ岳南麓は、農耕の始まる以前の縄文の世界が大きく開いた場所であった。諏訪湖はかつて今より大きくひろく水をたたえていた。その南面に諏訪神社上社本宮、上社前宮がある。縄文人は広く鹿児島から青森北海道まで日本全国に存在するが、地球の温暖化による海面の上昇により、海に近い場所に拠点をおいた人々は、山岳地帯に拠点を移す。その中心が八ヶ岳南麓その中心が諏訪湖一帯であった。
 縄文の史跡は、青森の三内丸山遺跡から北海道、東北、若狭、和歌山、鹿児島と全国広く存在した。日が昇る東方をめざした人々は、いろいろなルーツから日本に到達する。人々はたどり着いたその地域でコミュニティを形成し生活を始める。初期の特徴は、死者をそのサークルの中心におき、そこに生きる人々は、亡くなられた人々と交信しながら、ひとつの輪の中で生活を営み祭事を行い暮らしていた。また、彼らの世界は、自然との共生がごく普通に営まれ樹木、例えば広葉樹、栗の群生は、根っこの部分で微生物菌類の助けをかりながら、強い栗の木が、小さな栗の木や弱い栗の木を、たすけながら一定の栗の森の世界をつくり、根っこで会話する樹木コミュニケーションがあった。雑木林は自然に、ブナの林やナラの林、、カシの林、シイの林、トチノキの林が共生していた。森は友であり生きる動物もみな友であった。
 それは狩猟採集民として生き方、命の尊さと自然の循環を理解して、必要なモノ以外はむさぼらない。ヒトも植物も動物も共に生きることがごく普通の考え方にあった。生きることと亡くなることは、自然に存在し、精霊は常に身近にあり、そこには、理解しないまでも4次元世界の存在があった。時空を超えていた。天と地はつながり、今のように地上に光はあふれていなかったが、満天の星は、人々に蒼茫の宇宙と拡がりを感じさせ、地上には天と交信するストーンサークル(環状列石)があった。
 時は流れ、地球の大気候変動により中国殷王朝は消滅する。日本の弥生時代はその末裔による倭国北九州に始まる。やがて、近畿を中心に四国、瀬戸内海を舞台の大和朝廷が成立する。大化の改新、鎌倉幕府を経て江戸時代300年は、日本の儒教と仏教・神道が一体となり、社会はエコシステムを創りあげる。その流れは明治維新、新たな時代に向かう。資本主義である。
 私たちは、今どこに立ち戻れば良いのか。ある意味縄文的考え方思想であり、システムとしては江戸時代に完成されたエコ社会の実現にあるのではないだろうか。森を植林して同一種、例えば杉の木をある間隔で定植するのではなく、その地域に自生する植物は、環境に適応するための長い年月を経て、少しずつ変化した結果、今があることに気づくことが必要である。残念ながらアメリカインディアンも、インカ文明も、アンデス文明も、アジア人モンゴロイドをルーツとする人々も大航海時代を経て、現在につながる文明の中で消滅していった。
 現代を否定するつもりはない。時代は常に変化しながら継続していく。私たちも、継続する社会の一員として、現在を受容しながら、過去に戻るのではなく現代のテクノロジーを活かし、未来を拓く考え方を共有したい。大宇宙の中の地球。そこで数えられない多くの時間を費やし、何度も発生と消滅を繰り返した文明を、私たちの世代で愛すべき地球を永久に葬り去ることには絶えない。私たちが今生きる世界と真逆の世界に立ち戻り、もう一度新しい世界の創造をめざしてみたいものである。
 コロナ禍が終り、つぎの時代が必要とされているが、ヒトも社会も、さも永遠に今の社会が継続していくかのように、人々は何も変えずに、どん欲なまでに物欲におぼれ、自己中心的な考え方の世界に浸っている。
 ひとの一生は短い。その間どのように生きても一生は一生である。先達たちがDNAとしてひとりひとりにメッセージを残した意味を、今の社会に私たち自身が存在することを、アンテナを最大限に高くし感じ取り、自己中心にならず自暴自棄にならずに、周りの人々の考えを受入れ、相手の気持ちを大切にしていきたいものである。2024年がこの地域の、この世界の希望のスタートとなることに期待したい。    加藤政実 

「新しい公共(コモンズ)を社会に取りもどす」(WACNETNEWS2024年1月号)

 時々いのちのことを考える。今後私たちは、地球という有機生命体にどれだけ長い時間を生き続けられるだろうか。かつて人は自然の中で、有機体の一部であった。すべてはみんなのもので、私たちが争いの種とする所有するという概念は持ち合わせていなかった。共有地や共有財産は、コモン、コモンズと呼ばれた。たすけあい、共助自助は当たり前で、人々は平和な穏やかな暮らしを続ける。自然を畏敬しながらも、自然の怒りや苛立ちに,真摯に反省しながらも、自然の一部として人は、未来を拓く力をその集団は持っていた。少ないところで家族3人から5人、最大で150世帯が一つの集団としてコミュニティを形成していった。
 世界の狩猟民は、食料を求めて移動していく。やがて、気候変動や人口増加の結果、定住での農業革命が始まる。生まれを同じくする民族が集団となり、その長が王となり貴族社会が生まれる。所有が始まり、領有権を争い、貴族出身の戦士による戦いの火ぶたが切られる。やがて弱肉強食の世界になり国家が成立する。あるところで、あまりもの格差に気づき、「平等化思想」が生まれる。そのきっかけは、キリスト教のプロテスタンティズム、銃、印刷、郵便であった。フランス革命(1848年)で一気に加速して時代は変わっていく。
 同時進行の18世紀後半からのイギリスの産業革命は、石炭エネルギーによる蒸気機関を生み、大航海時代を迎える。多くの資本家をつくり、資本主義・民主主義を形成する。この当時アメリカは、「平等化思想」の実験場であった。日本も明治維新(1868年)このタイミングで開国していく。
 そして現代、デジタルテクノロジーの時代に至った。Zoomをはじめアプリの普及で、PCとインターネットにアクセスできるようになり、誰もが個人でつながり、身近にDX、メタバース、生成AIがある。世界が一つとなり、その中で格差が最大限に生まれてきている。残念ながら日本は、この大きな変革期の中心にはいない。しかし今後、日本人として世界に貢献できる素地は充分にある。これからそのことを考えてみたい。
 私たちの社会はどこに向かうのか。コモンズから始まった人の営みは、所有が限界にきている。母星である地球環境が限界にきていることに起因する。「平等化思想」の流れは、デジタルテクノロジーの結果、世界は市民をつなぎ、加速度的に、現在の金融資本家から市民一人ひとりの標準化へ進むことであろう。過去に起きたことの再来である。国内でも、岸田内閣内の安部派の松野博一官房長官、他主要ポストの閣僚が、政治資金、キックバックの問題で揺れている。
 これから日本は?地方は?どうしたら良いのだろうか。
 コモンズ(ひと)から所有(貴族から国家、企業)そしてコモンズ(ひと)へと変化していく。社会はコモンの考え方の範囲で経済を発展させていく。雪だるま的に膨らむ資本主義、資産家や大企業が主導した社会は終焉する。市民による革命ともいえるこれからの主役は市民一人ひとりにある。地域コミュニティの問題課題の解決を市民が進める。そこには、地域課題を、小さなブロックに分けて解決していく必要がある。ひとつ一つの地域課題に関心のある市民が集まりプロジェクトをつくる。それがプラットホームとなる。地域課題の解決のために、必要なプラットホームが必要な数だけ、福祉、在宅医療、尊厳死、安楽死、こども子育て、教育改革、高齢者介護、生活困窮者対策、孤独、メンタルヘルス、オーガニック、移民、インバウンドなど……。地域にでき、それが起動することで地域が変わる。
 行政の役割も変わる。施策のゴールを決め、集めた税金を、予算と分配とを決定するのが仕事ではなく、地域自治の進め方は、プラットホームに必要な費用を、市民がダイレクトに集合知として決めていく。それは、現代のテクノロジ-を使えば簡単にできる。市民にとり、議員を選ぶ選挙だけが、意志決定の手段ではなく、行政は市民と社会を結ぶコーディネーター的役割を担うこと。さらにいうと、庭園を維持管理する熟練された庭師仕事のような感覚が必要で、常に一番良い状態に地域社会を整える眞に「パブリックサーバント」をいう。
 また、今後国内政治の改革も必要とされる。アメリカの大統領制やフランスの半大統領制のように、外交や安全保障などの政策領域における政治分野と分離して、内政分野は各地域が担うシステムが望まれる。従って、現在の中央が税を一元管理するのではなく、地方交付税を含めて各地域のことは、地域が考えていく仕組みが必要とされる。
 私が考えるこれからのキーワードは「ケア」のように思う。ケアは日本全国どこにもある。今後デジタルテクノロジーと結びつくことで、世界の最先端に近づくことができると信じている。ケアの範囲は、医療、福祉、教育、こども、高齢者、障がい者、家庭介護などとなる。この分野は、日本にあっては今一番ボトムな存在である。しかし、底辺にあるからこそ、未来を創造することが可能となる。アメリカも1985年のボトムの時代を経て、シリコンバレーが生まれ、中国との関係が生まれ、深圳があり、バンガロールがありエストニアがある。ジョブスのiPhoneが生まれ、アマゾンが生まれ、イーロンマスクがテスラ、スペースX、PayPalを創る。
 私たちは今、新しい公共(コモンズ)を社会に取りもどすことで、今の資本主義の、大きなバブルからも、個人の欲望からも解放されて、ひとり一人の生きるミッションを発見することができる。それは、まさしく相互扶助、たすけあい、小さなコミュニティから、今ある国家まで、ゆるやかな関係づくりに包まれた安心安全な地域の実現となる。みんながしあわせに暮らせる社会。私たちは、地域創生「共生き志本主義」をめざし、この地で牛歩のごとく歩み続ける。
加藤政実 

「いま私たちにできること グレタ・トゥーンベリ」(WACNETNEWS2023年12月号)

今年もあと1か月あまり、国内は異常気象が続き、四季は崩れて夏と冬の二季に変わってしまった。東南アジアでは、天狗熱の集団感染が発生する。まさに想定外の気候変動が続いている。国も、日本人も、コロナ禍前の日常が戻っている。行政も、経済界もどこも変わろうとしない。日本沈没ならぬ地球崩壊の危機が今そこにある。
 今回は、グレタ・トゥーンベリさんを取り上げてみたい。グレタは2003年1月3日、オペラ歌手のマレーナ・エルンマン(母)と俳優スウァンテ・トゥーンベリ(父)第一子としてストックホルムに生まれる。
 すべては11才、授業で世界中の海に浮遊する大量のごみに関する映画を見たことから始まった。南太平洋では浮遊プラスチックごみが集まり、その面積がメキシコより大きい島をつくる。視聴中ずっと泣き続けた。彼女は、他の生徒ができる簡単な方程式がいくら努力しても解けなかった。また、普通の人が見えるものが見えず、見えないものが見えていた。彼女の眼には、私たちが排出した二酸化炭素が、工場の煙突から立ち上る温室効果ガスが、風に吹かれ、大気中に大量の灰塵をまき散らしているのが見えていた。落ち込んで無気力となり、医師の診察をうける。結果アスペルガー症候群、強迫性障害及び選択的無言症と診断される。
 特異とされるのは、個人の未来と地球の未来が同次元で考えることができ、痛みを共有できるところだろう。それを何とかしなければならないという姿勢と一途な思いから、即行動を起こすこと。2018年10月のブリュッセル「気候のために立ち上がれデモ」(資料参照)から11月ストックホルム「TED」で、12月パリでの「国連COP24」でのスピーチ。すごい行動力である。2019年1月22日23日ダボスでの「世界経済フォーラム」、2月ブリュッセル「EESC」、4月16日ストラスブルグ「欧州会議」、23日「ロンドン議会」、5月ウイーン「オーストリア世界会議」で、5月28日ウイーン「気候サミット」、31日「未来のための金曜日」と続いた。
 2019年6月から高校を休学していたが、2023年6月7日あえて高校を卒業する。20歳。
グレタ自身も、日常生活で、飛行機旅行を断念したり、肉を食べないなど二酸化炭素排出量の少ないライフスタイルを実践中で、現在も、1月ドイツの石炭採掘に対する抗議活動、3月ノルウエーの風力発電所に対する抗議活動、6月石油タンカー航行への抗議、10月エネルギー業界の会合への抗議、イスラエル、ガサ地区での戦争への抗議など活動はやまない。
 グレタは語る。「危機を解決するための第一歩は、全体の状況を判断したり、即座に行動したりすることではない。危機を解決するための第一歩は、自分がその真っただ中にいると気づくことだ。ところが私たちはまだその段階に至っていない。自分たちが気候の緊急事態にいる事実に気づいていないのだ。けれども、それが主たる問題ではない。主たる問題は、私たちが気づいていないという事実に気づいていないことなのだ。」
 日本では、分類上自閉症スペクトラム症に含まれるアスペルガー症候群。人との関わりやコミュニケーションをとることが苦手だったり、興味や行動が偏っていたりする傾向にある。しかし、視点を変えれば、今世界をリードする人々は、特異性の中で世界をリードする活動を続けている。国内でも、平均点、優等生、ルールを守るひとたちでなく、特異性のある人たちを生かす社会にチエンジしてほしいものである。
加藤政実


グレタ・トゥーンベリファーストスピーチ気候のために立ち上がれデモ」(ブリッセル)2018年10月6日以下全文

こんにちは、グレタ・トゥーンベリです。15歳で、スウェーデンのストックホルムから来ました。私はスウェーデンの国会議事堂前で「学校ストライキ」をしています。気候危機に注目を集めるためにそうしているのです。
毎週金曜日、スウェーデン国会議事堂の外で座り込みをしています。これはスウェーデンがパリ協定を実施するまで続けます。
あなたがどこにいようと、私たちと同じことをするようお願いします。あなたの国が気温上昇2度未満の目標に邁進するまで、国会や地方自治体の建物の外に座り込むのです。
ウブサラ大学によると、もしスウェーデンやベルギーの現在の排出量を全部‐航空、船舶、輸入品‐も含めるなら、そしてパリ協定や京都議定書ではっきり述べられている、最貧国への公平性の視点を考慮に入れるなら、スウェーデンやベルギーのような富裕国は少なくとも毎年15%の排出削減を始めなければなりません。
削減できれば、発展途上国には開発のチャンスが与えられます。私たちがすでに持っている道路、学校、病院、安全な飲み水、発電設備などのインフラを整備し、彼らの生活水準を上げることができます。
ストライキなんかやめて学校に戻りなさいという人もいます。でも、もうすぐ未来がなくなるのなら、なぜ勉強しなくてはならないのでしょうか?未来を救うために誰も行動を起こさなければ、そうなりますよね。現行の学校制度における科学の最高峰がもっとも重要な事実を伝えているのに、政治家や社会にとって無意味であれば、その学校制度の中で学ぶ意義とはなんでしょう?
 いま私たちは毎日、1億バレルの石油を使っています。それを変えようという政策はありません。それを地中に残しておくルールは存在しないのです。
 つまり、いまのルールに従っていると、世界を救うことはできません。だから、ルールを変えなくてはなりません。
すべてを変えなくてはなりません。それも今日、始めなくてはなりません。
気候危機は世界中の問題です。抗議するために、どこかへ行く必要はありません。どの国の政府の建物の前でもいい、そこで抗議の意志を示してください。石油会社や電力会社の前に立つのもいいでしょう。あるいは、世界中の食料品店、新聞社、空港、ガソリンスタンド、精肉工場、テレビ局など。
いくらやっても足りないくらいです。
誰もが、そして何もかもが、変化を必要としています。
先月、国連事務総長は、2020年までに排出量カーブを急降下させる必要があると言いました。パリ協定の範囲内にとどまらなければ、世界は「存在を直接脅かす脅威」に直面するからです。
科学者たちはパリ協定の目標を達成できる可能性は5%だと言っています。地球温暖化を2°未満に抑えなければ、私たちは悪夢のシナリオに直面します。このことを人々が知っていれば、私がスウェーデン国会議事堂周辺で学校ストライキをしている理由を尋ねる必要はないはずです。状況の深刻さと、対策がほとんどなされていないことを知れば、誰もが私たちと一緒に座り込みをするでしょう。
スウェーデンでは、地球4.2個分の天然資源が必要な生活をおくっています。ベルギーでは4.3個分です。どちらの国のカーボン・フットプリントも世界ワースト10に入ります。これは。スウェーデンとベルギーが毎年、将来の世代から3年分以上の天然資源を盗んでいることを意味します。将来の世代の一部である私たちは、スウェーデンにもベルギーにもどの国にも、そんなことをしてほしくありません。地球の限界に収まる生活を始めてほしいのです。
 これは、助けを求める叫びです。
 この危機を危機として扱っていないすべての新聞へ。
 気候と環境以外のあらゆるものに立ち向かうすべてのインフルエンサーへ。
 気候問題を真剣に考えるふりをしているすべての政党へ。
 知識はあるのに、壊滅的な気候変動そのものよりも、それを防止することで起こる変化を恐れるあまり、そこから目をそらすことにしたすべての人へ。
 あなたの沈黙は最悪といえるでしょう。
 この先全世代の未来があなたの肩にかかっています。
 子どもである私たちは、いま、あなたがしていることを、未来で帳消しすることはできないのです。
 スウェーデンやベルギーは小さな国だから、何をやっても意味がないと多くの人は言います。けれども数人の子どもたちがほんの数週間学校に行かないで、世界中のニュースの見出しを飾れるのです。私たちが本気で一緒になれば何ができるか。想像してみてください。
 一人ひとりの力が重要です。
 どんな小さな排出量もカウントされるように。
 たとえ1㎏でも。
 だからお願いです。気候危機を待ったなしの危機と扱い、私たちに未来をください。
 私たちの人生は、あなたの手の中にあります。

「地域から未来を創りえる人材をめざそう!」(WACNETNEWS2023年11月号)

 資本主義と環境問題、相容れない二つの指標が、現在私たちの生活及び未来を決めていく。
 今年も非常に暑い夏が終わり、いきなり晩秋がやってきた。でも今も秋晴れは、多くは存在せず曇りがちの日々。短時間であるが、スコールのような雨の降り方が続いている。
 資本主義とは、大量生産大量消費をベースに消費がエンジンとなり豊かな社会を実現してきた。スタートは1950年代アメリカから、それから20年の間にスイス、西ドイツから西ヨーロッパや日本を含む国々が同様な社会システムを実現し、20世紀末には、東アジアへその後ほとんどの国に、圏域を拡大していった。
 1958年アイゼンハワー大統領は「自由社会では、政府は個人や集団の努力を励ますことによって、経済成長を最もよく奨励することになる。貨幣はもちろん国家によって有効に使われるが、税金の重荷から解放された納税者によっても同じ程度に有効に使われるだろう。」とコメント。当時、市民は、扇風機をエアコンに取り換えることによって、小型テレビを買うことによって、自分たちの力で経済を発展させられるのだということを理解していった。
 同時にアメリカは、それを推し進めるための戦争経済・軍事支出に支えられていた。国民支出からみると、53年66%、60年52%、70年42%と平時とは思えない数字である。一方日本は同じ期間では国民支出の1%以下であった。これがアメリカの核の傘下で防衛費を免れた日本の姿であった。その結果、経済の高度成長が可能となった。そしてアメリカの属国となっていく。その中で、共依存の関係が出来上がる。そして今がある。
 資本主義は、消費を拡大することでお金が増える構図をつくり、人間の欲望のサイクルを回す仕組みといえる。それは、永遠に雪だるまのように膨らんでいく。
 私たちがこれから生きていく時代は、パンデミック、気候変動、自然災害、エネルギー危機、食糧難そして軍事的な紛争がいつ起こるかわからないという慢性的な緊急事態下にある。いままでのように市場に自由に任せるようなシステムでは立ち行かないと思うし、実際コロナ禍において現状のシステムは機能しなかったわけで、国の介入も当然重要になってくる。私たち消費者も余計な生産、労働、消費に対して自己制限をかける時期に来ている。そうすることで資本主義的自由を超えた真の意味で自由を獲得することができる社会に到達する。
 日本には、アメリカのバーニー・サンダース上院議員やスウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンべリさんのようなリーダーは生まれないのか?
 過去日本財団が、2019年に行った「18才意識調査」で「自分で国や社会を変えられると思う」という設問に対して、日本は「思う」が18.3%、それに対して、インドは89.1%で、ベトナムも中国も7割を超えていた。変わることを期待しない。居心地の良い今の日本を象徴している。
 消費社会で長く、ルールを守り生きることに満足した人々は、今からリスクを冒して、何かを求めたり、誰かのためにとか、何かを守ろうとする意欲は見当たらない。今そこに地球が、痛みを感じ悲鳴を上げていても、国内に格差が拡がり、そこに生きる困窮者や高齢者がいても、自分の将来が、その延長上にあるかもしれないことは、予想すらしない。個人の感性を失った人々は、個人の欲望を求め続けてやまず、社会的規律も責任感もない。
 めざすつぎの社会は、ヒトを大切にする共生き志本主義。GDPの大きさではなく、温室効果ガスを排出しない、地下資源を搾取しない、海洋を汚染しない等の意味で、自然を破壊したり、収奪したりしないことをいう脱成長をともなう。
 この考え方から日本全体へのアプローチではなく、地域から変えることができないかと、昨年夏より、自ら切り開いていける若い人材の創出に努力してみたが、私どもで職員として採用していずれ分化して、法人内起業のモデルをめざす。しかし残念ながら挫折してしまった。一つの与えられた枠の中で、一定の時間仕事をこなし、さらにプライベートの生活も大切にしながら、生活していこうという現代の若者は、ある意味間違いではないが、私が求めてやまなかった若く馬力のあるうちに、一般の組織では学べないこと。任されて、何もない状況から未来を切り開いて、地域のため、国のため、地球規模で、みんなのしあわせの実現をめざす。その礎をつくりえる人材に巡り合うことはできなかった。今もできていない。また、新たな目標が見えてきた。しかし、残す時間は有限である。  
 加藤政実

「異常気象から生き方・地域を考える」(WACNETNEWS2023年10月号)

 異常気象で、世界は燃えている。気温上昇の影響を受けて、高温、干ばつ、強風の組み合わせで発生する森林火災。ハワイマウイ島では干ばつにハリケーンがやってきて強風で一気に延焼して大惨事に。カナダでは、今年日本の国土の37%にあたる約14万1000平方キロメートルを焼失した。日本ももちろん無縁ではない。通常西から東に流れる偏西風が、このところ南北に蛇行し、特に北に向かい蛇行する所では強い下降気流が発生して、激しい乾燥を生む。台風の発生と進路も気になる。とにかく暑い日々は今も続く。世界の酷暑も表情をゆるめない。アフリカのジブチ共和国71.5°イラク南部バスラ53°中国新疆ウイグル自治区52.2°アメリカフロリダ沖海水温38.4°を経験する。国内でも浜松市、埼玉県熊谷市で41.1°、多治見市で40.9°、石川県小松市40°が熱い。
 首都直下地震は今後30年以内には必ず起きると専門家は予測する。関東大震災から100年。相模湾北西部を震源とする震災はマグニチュード7.9。死者行方不明者10万5000人以上、内火災の死者は9万2000人で、この原因は竜巻状の渦「火災旋風」にあった。地震と台風と都市の一極集中そして避難場所の確保がすべてであった。その後、家屋は木造からコンクリートへ耐震化や不燃化は進み、法制度は整備して一安心できる環境にあるように見えるが、いかがでしょうか❓。カラー映像化された当時のモノクロフィルムから見えなかった記録が先ごろNHK特集で放映された。家族の日常があり、あどけない子どもたちが写っていた。その後の惨事を知る由もない。「ゴーッと火焔が空に伸びていくと、大八車やたんすや人間が舞い上がる」「荷物が飛び散り、炎に追われた人たちの髪に火がつき激しく燃える」「赤く焼けたトタン板が飛んできて何人もの人々が死んでいった」(関東大震災体験記録集より)地震後、「陸軍被服廠跡」(現東京都立横綱町公園)と呼ばれた空き地で、避難した4万人の内3万8000人が亡くなった。
 世界の異常気象は、今も同じようなことがいつ起きても不思議ではない状況にある。災害は、一つの原因では大災害にはなりにくい。いくつかの要素がクロスオーバーする中で一緒に作用する。北極の氷が溶ける。海水の温度が上がる。上昇気流が発生する。大雨が生まれる。台風の進路が変わる。地震が起きる。過密化する都市がある。その原因の一部は、私たち人間が増え続けていることによる二酸化酸素の排出量に原因があるとしても……。私たち一人ひとりは現在の生活に安住するのではなく、身の回りの環境、人であり、生きもの・自然であり、政治であり、社会であり、私たちを支える家族、コミュニティー、地域、日本、地球に関心を持ち、次の未来を創っていきたいものである。
 一人ひとりが生き方をチェンジして、社会を変える。意識改革こそ今一番望まれる。
 (提言10か条)①共依存ではなく、依存しない考えをもったひとりの自立した人間をめざすこと。②ロボット人間にはならない。人生のミッションが見つかるまで、いろいろな体験や経験が、あなた自身を強く育てること。③すべてのひとには、役割があり存在がある。あきらめないこと。いつもポジティブに生きていくこと。④日本人に生まれた誇りを持つこと。あなたのDNAの中には、日本人として生きた人々の想いが凝縮内包されている。⑤自分で決めて行動すること。行動に責任をもつこと。責任感があなたの成長を約束する。出会った人との信頼を得ることに繋がる。⑥家族をつくり家庭を大切にすること。子育てこそ最大の学びの場となる。⑦故郷(ふるさと)を大切にすること。その人のアイデンティティは故郷にあり国にある。⑧障がい者、生活困窮者などハンディキャップやセーフティネットにある人ほど学びは大きい。傲慢な考えを捨て謙虚な自分が見えてくる。⑨学びは人生における至福の時間である。いくつになっても大いに学び大いに考えること。⑩生涯現役。人は自身の興味ある分野で学び、社会に出て働き(スペシャリスト)、組織で人をまとめ育てる仕事(マネジメント)で輝きたい。最後はもう一度、興味のある分野でスペシャリストとして活動し、自分の意志で進退を決めること。
 行政への提言としては、中核市豊橋は、国の法律を守ることではなく、世界が予測不能な不可思議な、規格外のモノやコトが起こっている現実を直視して、この地域が将来にわたり、存続できる地域でありえるように、スピードと改革でリードして、市民が喜んで安心して暮らせる施策を果敢に進めて欲しい。
 関東大震災の教訓の中で、避難場所として悲惨な陸軍被服廠跡の事例もあるが、一方東京上野駅で上野温賜公園の不忍池のおかげで延焼を阻止した事例もある。豊橋でも、ため池はあるが、住宅地と公園の規模拡大+水資源池セットを災害時の避難場としてイメージした公園は少ない。また、前号でテーマとして取り上げた新アリーナ構想でも、全国最大は埼玉県「さいたまスーパーアリーナ」(37,000人収容)。中部では名古屋の日本ガイシホール(10,000人収容)、静岡エコバアリーナ(10,000人収容)、長野エムウエーブ(20,000人収容)がある。コンサートやスポーツイベント等を誘致し、地域経済を活性化することを考えると、プロバスケットボール「三遠ネオフェニックス」のホームタウンとしても国内最大の38,000人収容、最低でも25,000人収容規模は欲しい。もちろん災害対策避難所としての効果もある。 
加藤政実

「新アリーナ構想とまちづくり・民主主義」(WACNETNEWS2023年9月号)

 8月3日プロバスケットボールB1「三遠ネオフェニックス」の牛尾信介社長が退任された。昨年6月1日千葉ジェッツから期待されて招聘してからわずか1年あまり。今回の人事は、創設のオーエスジーから水野晃氏が出向して今後代表を務める。また、県内ではアイシンの「シーホース三河」が、JR三河安城駅近くに、26年完成をめざしてアリーナ建設を急ぐ。観客動員5000人は豊橋と同規模である。
 2016年に前佐原市長が総合体育館をフェニックスのホームアリーナに指定したところからことは始まる。2017年ローカルアベノミクスの深化をテーマにした第6回未来投資会議で佐原市長が安部首相にプレゼンテーションを行う。新アリーナ構想には、①5000人規模②豊橋公園③プロバスケットボールを軸に④まちづくりのテーマが盛り込まれる。その後、紆余曲折の結果、現在、浅井市長と市民との間に賛成か反対かで議論沸騰中にある。
 私自身の個人的意見としては、新アリーナの建設には賛成であるが、豊橋公園内に設けることには反対である。当初予定されていた公園の北側、朝倉川をはさんだ牛川町沖野地区は、現在、水道局や市職員の駐車場、畑が点在する。豊橋公園との連携と駐車場を考えるとここがベストといえる。
 6月の集中豪雨にも水には浸かったが20㎝ほどで、約一日で元に戻った。野球場の移設予定地の神野新田町は、愛知県知事による津波災害警戒区域で、豊橋市も2021年豊橋市津波避難行動指針で想定震度7,特別避難困難地域に指定。新球場予定地は津波浸水深2.3mに達するという。現在の計画では、地盤面を3mかさ上げして使用する。
 2番目の候補地として有効利用の観点からすると、のんほいパークの隣地「東高田町」が考えられる。「シーホース三河」の拠点となるJR三河安城駅は、新幹線の乗継駅でもあるが、安城駅の次駅で、同じようにJR豊橋駅の次が二川駅となる。旧東海道には二川本陣はあるが、通りに江戸のまち風情はない。例えば、長野県小布施、伊勢のおかげ横丁、高山の町並みなど、楽しみながらまちをウオークする環境が欲しい。南側1号線をはさんで、のんほいパークまでのウオークする環境や自転車によるサイクリングロードの設置やEVシャトルによる送迎など、世代に合わせた移動サービスがあると良い。ポイントは誰にもやさしいまちづくり、環境づくりといえる。
 3番目の候補地としては、アクセスは豊橋鉄道の愛知大学前駅、南栄駅を基点としたまちづくり。新アリーナ建設の基点は、愛知大学敷地内又は、アイプラザ豊橋・高師緑地公園の有効利用にある。こちらのテーマは、スポーツに特化した健康づくり。老若男女子どもたちが、つながる大きなテーマパークができると楽しい。
 豊橋公園は、時代にベクトルを合わせると、豊橋の伝統と文化を生かした杜の公園が魅力的に映る。吉田城の整備、豊橋美術博物館、豊橋市庁舎、豊橋ハリストス正教会があり、豊橋公会堂正面から1号線をはさんで走る道、神明公園までまっすぐに伸びる道路を生かした大正・昭和のまちなみウオークできる賑わいのまちを創出したら楽しい。できれば豊橋市や東三河にあるこの時代の建物を移築して保存することも大切であろう。豊橋のまちにしばらくは人々が訪れてもらえる核都市になることが望ましい。そのためには、豊橋市に魅力あるコンテンツ、ここでしか見れない、ここでしか体験できないこと、日本にここだけ、世界にここだけの№1コンテンツを創り続けることが必要となる。
 新アリーナ構想は、これからもっと豊かにと信じた時代に生まれた。箱モノを作ることで産業をおこし地域を活性化していく神話が、しかしコロナ禍の中で、私たちに考える時間を与えてくれた。1945年から78年の現在、真にこの国に民主主義は定着したのか。うわべは、みんなが平等という概念はあるが……。
 明治維新で我々の先達たちが作ったシステム。天皇がトップで、下に軍部が独立し、同列に国会をはじめ三権分立が機能し、国は官僚が支配する。殖産で企業を育て利益は国家を支える。人々は、企業に所属して糧を享受する。78年後の今、気づいてみると天皇の位置にアメリカが座り、軍部は米軍に代わり、大企業優先の国家の考えは変わらず国は官僚が支配する。派遣社員が増え、日本企業の特徴であった経営者と労働者と株主が共に支える考えは消失した。一人一人は、バラバラにされ、大海をさまよう海藻のような存在になってしまった。
 地方創生、これから私たちはどうするのか。身近にある地方を豊かにするために、市民一人一人が自立した考え意見をもつこと。誰か、何かに依存する生き方を修正すること。中核市である豊橋は国と対等に地域づくりをする権限がある。自分たちが意識を変えることで地域は必ず変わる。新アリーナ構想は、現在でも150~200億円の費用が見込まれている。現実の社会の進展を見ていると、この金額では終わらない。国や県からの補助が入っても、多くの負担は市民一人一人の税負担を増やしていく。アリーナを豊橋市内につくるとして、野球場の移転サブコート増設は見直すとか。こどもを産みやすい環境に税を使うとか。行政も決まったレールをそのまま走るのではなく、市民のしあわせのために、何をすべきか考え止める勇気も必要となる。今回のアリーナ問題は、行政の住民不在の進め方に、また、市民一人ひとりは民主主義を理解して市民総意の行動に移すことにある。                                               加藤政実

「社会の変え方!泉房穂前明石市長からの助言」(WACNETNEWS2023年8月号)

 日本の標準時刻となる東経135度子午線上にある「時のまち」兵庫県明石市は、海の幸、タコや鯛や穴子と明石焼き、明石海峡大橋で知られる。しかし、今もっとも旬な話題は、今年4月30日市民に惜しまれながら退任された泉 房穂市長が今回の主役である。
 豊橋市と同じ中核市で、人口305,414人の明石市で泉市長は、市民目線で市民に寄り添い、明石市議会と市職員をコントロールし、行政運営を図った功績は大きい。彼は、子どものころから、そして弁護士になってからも、ふるさと明石のまちで、普通の市民と喜怒哀楽をともにする生き方を実践してきた。
彼が生まれた明石市二見町は瀬戸内海に面した小さな漁師町であった。昭和42年生まれの弟は、出生時チアノーゼ(酸欠状態)で、当時の優性保護法(障害者を増やさないことを目的に、国から強制的に不妊手術や中絶手術を行う差別施策)により、「生まれなかったことにしよう」と、医師に告げられる。(出生後脳性小児麻痺を発症)その時の思いが、彼の原点となる。
 彼は、地元の小中学校を卒業後、明石西高校を卒業、昭和57年東京大学教育学部入学。昭和62年NHKに入局。そして、石井紘基民主党衆議院議員秘書を経て、司法試験に合格。同期に橋下徹元大阪市長がいる。神戸市や地元明石市で弁護士事務所開設し、平成14年衆議院議員総選挙比例近畿ブロックで初当選する。しかし、平成16年には落選。その後弁護士事務所再開して、平成19年には社会福祉士資格をも取得する。
 2011年(平成23年)支持母体は政党でも業界団体でもなく「市民」無所属の立場で彼は、明石市長選挙に立候補する。一騎打ちの激戦となり、その差69票差で「市民」が勝利する。当時「泉さんは、わしが通してやったんや」と言い合う市民の声が市内いたるところで聞かれたという。
 そして、最初に取り組んだのが、「こどもを核としたまちづくり」幅広く子ども・子育て施策を展開していく。まずは、子育ての経済的な負担を軽減する「5つの無料化施策」所得制限なし・18才までの医療費完全無料、市外の病院も無料、薬代も無料・第2子以降の保育料無料・中学校の給食費無料・公共施設の遊び場無料・おむつ定期便(0才児見守り訪問)無料がある。基本的な考え方は、お金はすでに市民から税金や保険料として預かっている。また、子どもを産みたいのにあきらめさせられる。この少子化を加速させる政策に対して、市民の声、切実なニーズに答えることを目標とする。次に,困っている市民に対する「寄り添い施策」・養育費の立替払い・こども食堂をすべての小学校区で開催・戸籍のない子どもの支援・優生保護法被害者支援・犯罪被害者支援・更生支援など行動に移してしていく。国が動くのを待つことなく、子どもに関することは、全部やるという姿勢で子ども施策を進める。結果、明石市の本気が口コミとなり、周辺から子育て層が集まってきて、10年連続人口増!人口増加率、全国の中核市で第1位!(1/62)・地価7年連続上昇・税収8年連続増・市の基金51億円増・市民満足度91.2%の評価を得る。
「子どもにやさしい」まちは「すべての人にやさしい」まちの実現に繋がっていった。
 12年間の条例成果として犯罪被害者支援条例(2014年)・手話言語・障害者コミュニケーション条例
(2015年)・障害者配慮条例(2016年)・更生支援及び再犯防止等に関する条例(2019年)
 ・優生保護法被害者支援条例(2021年)・水上バイク条例(2022年)・インクルーシブ条例(2022年)
 ・ジェンダー平等条例(2022年)がある。
明石市長泉房穂語録より
「どんな選挙をしたか」と「どんな政治をしているか」は深くつながっている。“政党”や“業界団体”に担がれて選挙をやれば、そちらを向いた政治になる。市民とともに選挙をやって勝ち切れば、「市民のための政治」が可能になる。
・「驚くべき行政手腕」とのことですが、「既得権益にメスを入れて、得られた財源で子ども施策を遂行」する程度のことは“権限的”には何も難しいことではありません。政治的には、既得権益側の怒りを買い、不祥事をでっち上げられたりしますが、それも市民(有権者)の応援があれば大丈夫です。
大企業や既得権益側にむいた政治は、まちを決して豊かにはしない。市民目線で「生きやすさ」と「経済」はかならず両立できる。日本の冷たい政治よりも、市民のためにやさしい政治をめざそう。市民一人一人の願いと選択が、まちと市民の暮らしを良い方向に変え、やさしいまちの実現に繋がる。泉房穂前明石市長の言動に、私たち豊橋市民一人一人がしっかり意見をもち発言すること。私たち豊橋のまちも変わらなければと強く感じている。                                        加藤政実

「人間の意識・経済・社会と政治のゼロフィールドが未来を創る」(WACNETNEWS2023年7月号)

 6月はじめの金曜日、豊橋市にレベル5の大雨が降りそそぐ。川の氾濫と低地での一面を覆う海のような景観。今回の集中豪雨は、線状降水帯が居座ることで発生したという。私たち人間が、ルールをつくりどれだけ準備をしても、それを上回る自然の営みに、改めて地球生命体の痛みを感じる。このままで良いのかと……。ひとりひとりが社会で生きること。みんながしあわせになれる社会の実現と持続可能な社会の実現に向かっているはずなのに、何処かで歯車が狂ってしまっている。
 私たち日本人は、働くことが好きな国民なのか。最近は、70才過ぎても履歴書を持ち、私たちの職場にも訪問する人が後を絶たない。どうも違うような気がする。もともと日本人は、まじめな勤労意欲とともに、一定期間働き、そのあと隠居することで、つぎの世代に譲り、自身は、優雅に公的な営み、例えばボランティアや、自分を磨くこと、例えば陶芸を学ぶとか茶道を極めるとか趣味の世界を拡げていく営みがあった。NPO活動を始め24年。
以前は、ボランティアをしたいという方に多くお会いした。今はその声を聞くことはない。
 制度の問題により今があるのか。ひとりひとりの現状を変えたくないという社会依存が生み出しているのか。あるいは、ひとりひとりが一定の生活を維持したいという金銭欲に対する執着なのか。新しい資本主義に未来があるのか。疑問が残る。今も私自身が提案する共生き志本主義こそ未来をつくると信じている。が読者のみなさんはどのように感じているのであろうか。意見を聞きたいものである。
 2022年の合計特殊出生率が発表され、1.26の過去最低であった。出生数77万747人で前年比5%ダウン。松野官房長官は、「少子化の進行は危機的な状況で、日本の静かなる有事と認識すべきだ。」と述べた。政府が15年に数値目標に掲げた1.8とは差がある。しかも人口を維持するには合計特殊出生率2.06~2.07必要とされる。フランスの1.8やアメリカの1.66と比べても見劣りする。少子化のスピードは加速している。15年までは100万人を超えていたが、その後7年で2割以上減っている。
 親がこどもをつくらない原因はどこにあるのか。つくりたくないのか。つくれない環境がそこにあるのか。基本的に考えれば、子どもがいたほうが、楽しいし、人間が群れるという集団であるとしたら、特に日本人とユダヤ人は集団で生活することで歴史をつくってきた民族としたら、何故なのであろうか。
 政府は、少子化対策と高齢者対策で財源の確保に、世代間の対立をあおる。児童手当所得制限撤退など支援策などでこども予算倍増をめざし、一方、医療では75才以上の窓口負担増の保険料引き上げや利用者負担増の対象拡大や介護現場の歳出削減をめざす。そもそも社会保障制度改革国民会議が示した「全世代型社会保障」とは、世代間での財源の取り合いではなく、それぞれ必要な財源を確保することにあるのではないのか。
 私は常々こどもが生めない環境とは、地域コミュニティの消失と家族の崩壊にあると考えている。核家族となった現代は、残念ながら子どもを育てるにあたり夫婦である母に過度の負担がかかる。保健所等公的機関からの情報は入るが、一人でしかも、働く夫の仕事でのストレスはいやせないまま、家庭に持ち込まれる。妻は経験値のないまま放り出されて子育てのストレスに苦しむ。周りに一緒になって考えたりヘルプして、アドバイスしてもらえた親の存在も、親族も地域社会も存在しない。すべては、お金でしか買うことができない。
 集団として行動することで、生き生きとした民族が、今、個人の力を問われる社会の中にいる。行政は、縦割り社会にある。部分的には、改善されても、抜本的な解決にはならない。今、即実行するとしたら、こどもを生むこと・育てることを、母親に対して保証するシステムだと思う。一つは、子育て労働を一定の評価をして、月々の給与として国が支払う仕組みを作ること。年間一人300万円。二つ目は、母親だけでなく、ジェンダーギャップをなくし、夫の扶養控除をなくし、女性も社会で対等に評価できるシステムを確立することにある。
 どちらにしても、国内で見れば、江戸幕府開府、明治維新、1945年次ぐ大きなターニングポイントにある。グローバルな視野にたてば資本主義の消滅時期にあたる2025年。まもなくである。次の時代にベクトルを合わせること。私たちの社会は、常に変化しながら、人間も変化する人たちが次の進化した社会を創造してきた。今、人間の意識のゼロフィールド、経済のゼロフィールド、社会のゼロフィールド、政治のゼロフィールドが必要とされる。                                    加藤政実

「私たちの今いる立位置を確認してみよう!」(WACNETNEWS2023年6月号)

 世の中、変化のスピードが速い。変化の激しい時代には、私たちもそのスピードに乗りながら自らも変化していくことが必要となる。1万年2万年と変化しない時代を生きた人たちと比べて、今は、1年で20年から30年の時間が経過する。私たち一人ひとりに行動の変革を促す。しかし、今いる場所から一人ひとりを考えてみるに、モノには恵まれ、贅沢をしなければ、ある一定の生活はできている。自然の変化も、細かく見れば、夏が早く訪れたり、日中と夜とに寒暖差があったり、コロナも終わったのかなと、思われたりして、不思議に感じない自分たちがそこにいる。
 しかし、確実に単身者は増え、高齢者だけでなく、人口構造的には、全世代にまんべんなく拡がる。二人で生活を支えれば何とかなるが、単身者にとっては、決して住みやすい場所にはなっていない。格差は広がり、最近の物価の高騰は、賃金の上がらないこの国に生活する一人ひとりには、重くのしかかる。国内のメディアは、情報の管制が引かれているように、海外の状況は、伝わってこない。しいて言えば、SNSネットによる情報に頼るしかない。
 ジョブス、イーロンマスクなどの出現により、世界の製造業が変わっていった。製造する場所は、国境を越え、コストの安い場所で生産する。中央の企画・デザイン・マーケティングは心臓部の本社機能と一緒に持ち続ける。これがグローバルゼーションの実態である。
 一方、日本は、他の国もうらやむ年功序列システムを放棄して、労働者をコストとみるように政策転換させ、派遣社員に切り替えていく。しかし、国内での、ピラミッド型労働の仕組みは、維持しようとする。結果、多くの製造業は危機を迎える。さらに、日銀の低金利政策は、大企業にとっては、量を増やさず利益を上げる仕組みとなり、企業の存続と次なる設備投資と体質改善、チャレンジ力を削いでいく。一向に体質は変化せずに今がある。重工業の素材メーカーは、殆ど姿を消し、トヨタなど自動車産業を残すばかりで、世界的なEV展開により未来は決して楽観視できない。
 私たちの社会システムは、垂直から水平志向に変化して久しい。企業も行政も、コミュニティもすべてである。すでに、日常の中で、パソコンではなく、IパッドやIフォンで個人として体感している。情報は身近に安く使いやすくなってきている。AIの世界もチャットGPTが話題を呼ぶ。
 コロナの停滞期を経て、私たちの進化の速度はゆっくりであるが、世界は一様に次の時代へアクセルを噴む。韓国も中国も台湾も賃金では日本を上回って、タイは80%で、ベトナムも60%と、かつての日本で我慢して働く場所にはなっていない。しばらくは農業や福祉で働く技能実習生も、国を変えることでしばらくは継続できるが、未来は予測不能となる可能性もある。
 それよりも、日本には文化や歴史と多様な食文化など見るべき資源はたくさんある。地域で雇用を増やして、今の生活を維持するには、もてなしの心とともに、私たちが古い文化を現代に生かす努力と、日本的環境風土の保全が大切となる。
 それには、そこに生活する人々が、その地域が好きであり、一人ひとりが意識を変えること。意識を変えるとは、何処かに、誰かにもたれていない生き方で、自主独立した個人の自己形成と依存しない生き方が必要となる。そのために、一人ひとりが自分自身の哲学を磨くこと。今、学習するための材料はネットに溢れていて、興味があることは、国内にすべて情報としてある。東洋の哲学、仏教も儒教も道教も身近にある。西洋の哲学、古代ギリシャ・ローマ時代のストア哲学から日本の神道、自分が興味のある考えを自分自身に取り込み、さらに学習したければ書籍で学んだり、ルーツを訪ねたり、師を探すことも良いであろう。
 今、企業ではSDGSが盛んである。しかし、一つのブームとして捕らえている企業は、利益優先を考える。しかし、本当の意味は、企業の欲のみでなく、同時に公共のためにを一緒に考える必要があることである。NPOと企業の距離はどんどん縮まり、お互いに協力しながら、地域社会と国と世界を考えることが大切となる。
 さて、私たちの今いる立位置を確認してみよう。時代は貴族から企業そして個人の時代に移っている。国内では、一人ひとりのしあわせの実現に向けてのシステムへ移行が急がれる。それには、意識を変えること必要となる。かつて、卸小売り事業は衰退すると予測されていた。しかし、見事個人にきめ細かいマーケティング展開をしたアマゾンは成功をおさめている。さらに発展させ未来を生み出す観点から考えれば、セーフティネット者や障がい者に照準を合わせたビジネスモデルは今だ存在しない。               加藤政実

「共生する父と子 大江健三郎・大江光」(WACNETNEWS2023年5月号)

 大江光が生きる世界がそこにあった。同時にそこは大江健三郎が生きた世界でもあった。
共生する父と子、大江健三郎が3月3日他界した。享年88歳であった。すべては、彼の故郷、愛媛県喜多郡大瀬町(現内子町)から始まった。大瀬村は、森に囲まれた谷間の村で、松やクヌギなど雑木が生い茂り、朝の目覚めは鳥たちの奏でるささやきから始まる。陽射しは、ゆっくりと森に影を落としていく。小田川の流れは、自然そのもの、春夏秋冬音楽を奏でる。時間と空気は清として、ゆっくりと人々を包み込む。
 28才の時、1963年(昭和38年)6月13日に大江光(ひかり)は頭蓋骨異常のため知的障害をもって生まれる。4歳になっても能動的な言葉は話さず、意志の疎通が難しかった。ただ鳥の声のテレビ番組だけには関心を示した。父は子に、鳥の声を紹介するアナウンスが入った鳥の鳴き声をテープにとり毎日繰り返し聞かせた。
ある夏、避暑で訪れた軽井沢の杜の中を、息子の光を肩車して散歩している時に、鳥の鳴き声が聞こえて、その後、頭の上から「クイナ、です。」と声が聞こえたという。一瞬何が起こったのか‥‥わからなかったが、生まれて初めて聞いた息子の「声」だった。幻聴かも知れないと思い、もう一度クイナが鳴かないかなと祈った。(大江健三郎「静かな生活」講演より)
 絶対音感をもつ彼は、クラシック音楽に強い関心を示し、11才からピアノレッスンを始め、13才で作曲も始める。1992年10月に最初のCD「大江光の音楽」を発表する。1994年9月リリースした第2集「大江光ふたたび」が日本ゴールドディスク大賞を受賞。
 1996年にはおじの伊丹十三監督の映画「静かな生活」で日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞する。その後、父の講演会に同行して登壇する機会も増えていく。
 大江健三郎の作品も1963年発表の「個人的な体験」から息子の光の存在がテーマをつくる。それは彼に日常を取り戻すことにつながる。主人公の「鳥(バード)」は、これまでの作品と同様に、現実逃避的な心性からアフリカへの逃避する願望を持つ。しかし、「鳥」は生まれてきた脳に重い障害をもつ赤ん坊を見捨てるか、手術を受けさせて生かすかの決断の前で揺れて、最終的には回心してアフリカへの幻想を捨て、子どもとともに生きる覚悟を決める。
 同年、広島に何度も訪れた体験や、原水爆禁止世界大会に参加した体験を基にルポルタージュ「ヒロシマ・ノート」の連載を開始する。障害をもつ子との共生、核時代の問題という終生のテーマを同時に手にしたこの年は、彼にとっても重大な転機の年となった。
その後の父と子をモチーフにした作品が次々と生まれていく。「万延元年のフットボール」遣米使節が渡航した万延元年(1860年)から安保闘争(1960年)の100年を四国の谷間の村を舞台に起こる様々な傷を抱えた家族の恢復の物語。1973年の「洪水はわが魂に及び」は、核シェルターに閉じこもる主人公大木勇魚とその子で知的障害をもつ幼児ジンと交流する不良少年たち。核状況下における終末観な世界と破滅へ向かう先進文明に対抗するスピリチュアルな祈りがテーマであった。1983年の「新しい人よ眼ざめよ」は、ヴァルネラブルな父と子が、障害を持って生まれざるをえなかった息子に対する遺恨と罪の許し、自分の来るべき死と、息子ともどもの再生への思いを綴る。
 大江健三郎59才の時、1994年に川端康成に次いで日本人として二人目となるノーベル文学賞を受賞する。それから29年の時が過ぎ去っていった。
 彼は、1935年1月31日愛媛県大瀬村に生まれる。谷間の街道から少し奥に入った小さな集落。そこは森の精気に囲まれた場所であった。6才小学校入学のころ太平洋戦争は始まり、9歳で父親(当時50才)を心臓麻痺で亡くしている。本人は吃音と発達障害であった。他人と過ごすことは苦手であったが、観察力と内観することや自然と対話することが常であった。愛媛県立内子高校時代イジメを体験して、松山東高校に転校。文芸部に所属し編集、詩、評論に携わる。1953年に上京して浪人生として予備校に通い、1954年東京大学教養学部文化二類に入学する。そこで執筆を始める。
 大江光も今年で60才。父と子の深い絆は、決して解かれることはないであろう。父と子で作り上げられた数々の作品は二人の共生であり、人類との共生であった。父の存在は、大江光の記憶の中で、永遠に生き続けることであろう。                                       加藤政実

「この国のデモクラシーはこのままで良いのか!」(WACNETNEWS2023年4月号)

 岸田総理が5月のG7広島サミットを控えた今、電撃キーウを訪問した。G7の首脳の中では最後の訪問者となる。同時期中国習近平国家主席は仲介役をプーチン大統領から要望されロシアを訪問中である。果たして今がその時期か考えてしまう。ウクライナに一番近いドイツと、中国、ロシアに隣接する日本とは立場が違う。国民が望む行動であれば応援したいが、多様性の世界の中で、メンツだけが先行するのはいただけない。他のG7の国々は、軍事支援を行ったが、これからおきまりの経済支援がついてくる。国内では生活困窮者が悲鳴を上げている。
 明治22年(1889年)公布の大日本帝国憲法は、天皇を元首とし国会と官僚、軍部を直下に置くシステムであった。今でいう中国の習近平体制に近い。
 民主主義(デモクラシー)とは、人民・民衆が権力・権威を持ち、それを自ら行使する政治的な形態・思想を言い、古代ギリシャに由来し、近代では市民革命によって一般化した政治原理で、民主国家と呼ばれている。今世界で曲がりなりにも、民主国家を詠える国はアメリカ合衆国、カナダ、西ヨーロッパ諸国、北ヨーロッパ、日本などである。
 私たちの今をつくる戦後の日本国憲法は昭和21年(1946年)に公布された。第1条で「主権の在する日本国民の総意で」国家を統治することになっている。これはフランス型の「国民主権」で主権者の代表でたる国会が行政や司法を支配する一元管理が原則である。しかし実態は違う。法案の80%以上は官僚の書いた内閣提出法案(閣法)で、国会は、立法機能を果たしていない。裁判所はめったに違憲判決を出さず、それによって立法が変えられることもない。日本は、官僚機能に三権の集中する行政国家といえる。
 民主主義で大切なことは、デモクラシーが機能するための、議会における自由な言論である。自由な討論によって国策が決定され、議会によって法律が作られることにある。帝国憲法時代には、尾崎行雄、犬飼 毅、浜田国松、斎藤隆夫らの演説・大討論があった。現在の日本国憲法では、田中角栄が自ら議員立法提案者として26件の議員立法を成立させたが、それ以後その姿は消えてしまった。原因は、昭和30年国会法第78条が「実益のない制度として削除され」以来、自由討議の機会は、国会では永遠に失われてしまった。今や、議員も政府も、その発言たるや、官僚が書いた原稿の棒読みとなった。「討議」は、官僚作のシナリオ通りに演じられるだけ、形式化した議長発言までが原稿どおりとなってしまっている。
 本来のシステムは、国民生活には、いろいろな問題課題があり、代弁者である各議員が、その問題課題に対して自由討論の上で、法案として法律を成立させ、その運営に当たるのが官僚の役目といえる。それは、常に変化する社会がそこにあり、必要な叡智を注ぎ社会の発展と潤滑を図ることにある。これが、デモクラシーのもつ意味である。
 官僚機能は、残念ながら縦割りで、各部局が、予算の奪い合いに力を削ぎ、国民生活よりも、自分たちの権力保持に力を注ぐ。議員は、世襲化しサラリーマン化して、官僚をコントロールしていくマネジメント能力を持ち得ていない。さらに言えば、弁舌はさわやかであるが、実行力と判断力とスピード感そして責任感に欠ける。もちろん議員の資質にもよるが‥‥。
 日本の社会は市民革命を経ないでデモクラシーが生まれた。その結果、一人ひとりが過去の体制の中で、権力に依存したいと言う概念が残ってしまった。これは、きっと、自分で考えるより依存していた方が気持ち良いという自然な感覚であろう。昔の庄屋や代官、藩主、幕府が、今は、政府であり県であり市町でありそこにいる事務方官僚であろう。自由に闊達に意見を交わし、その中から時代に合わせてスピード感を持って政策を進める考え方が非常に薄い。
 結論としては、借り物としてのデモクラシーを維持して、私たち自身が変わっていくか。風土で培ってきた古来のノウハウを活かし、それを成熟させていくか。選択する時期にきているように想われる。昭和30年国会法第78条を復活させて、議員の討論を活発化してデモクラシーを成熟させる。市民である国民一人一人が自立し責任と行動を実践するアングロサクソン的資質を身につけるか。今の日本は、アメリカの属国としてのポジションをアメリカによる政策として戦後作られた。かつての大日本帝国憲法で元首「天皇」の立ち位置(天皇を元首とし国会と官僚、軍部を直下に置くシステム)が、日本国憲法では、象徴としての天皇を残しながら元首「アメリカ合衆国」であるように思えてならない。そう考えれば、現在の日本の姿勢・方向性にもがてんがいく。加藤政実

「名もなく、貧しく、美しく」(WACNETNEWS2023年3月号)

 雲が形を変えながら遠ざかっていく。ぼんやりと春の陽射しを浴びながら、遠い母のことを思い出す。急に目頭が熱くなり止まらない。涙がいっぱいどこからか、止めどもなく溢れ出る。悲しいのでもなく、嬉しいのでもなく、ひとすじ、ふたすじと頬に伝わる‥‥。母は、燃料店を営む祖父母の第4子長女として豊橋市下地に大正8年11月に生まれた。今年で鬼籍に入って13回忌を迎える。東日本大震災が発生した2011年3月11日その月の25日に彼女は旅立っていった。91才まで生きた母は気丈で、弱音を吐かない女性であった。
 太平洋戦争の終末、昭和20年(1945年)1月13日午前3時38分。この地方を襲ったマグネチュード6.8の内陸直下型地震「三河地震」が発生した。管制下の中、報道は控えられていたが、ある意味大災害であった。母はその真っ只中にいた。まだ、私も生まれていない時代である。嫁いだ先の夫は、海軍に2等兵として出征していて留守。深溝断層の上にあった住まいは潰され、家業を支える祖父(当時48才)は、柱の下敷きで即死。祖母はかろうじて瓦礫の中から救出され助かる。地震前日の朝、三ヶ根山の空は赤く燃えていたという。(発光現象)周りの道筋は、すべての家が崩壊して、原形を止めず跡形もなく、名鉄形原駅への道は隆起して坂道となり、手前の形原小学校校庭には、おびただしい死体が並んだ。その後の余震も激しく数ヶ月は、潰れて無くなった隣地敷地にテントを張り暮らしたという。
※当時の宝飯郡形原町被害状況:死者867人、負傷者381人、全壊319戸、半壊729戸
(現在の蒲郡市形原町)
 当時26才の母は家業(映画館&劇場)を、父が帰還するまでの3年間を男勝りの行動力で、東へ西へと奔走して必死に支え続ける。復員した父は3人の子を設ける。祖父の築いた家業は守られ、継続した父は、放蕩を続け2号さんを囲い、今でいうシングルマザーに母を追い込む。当時女性が経済的に自立して生き抜くことは大変な時代であった。
 たばこ兼駄菓子屋の商いで、3人の子を育て上げた母を、私は尊敬したい。周りの噂話を気にもせず、人を傷つける言葉は一言も言わず、ひたすら、真面目にしたむきに一生懸命努力する人であった。「必ずお天道さまが見ていて、守ってくださる。」は口癖で、お店で朝早くから夜9時10時まで働いた。田舎の商店街で、左右が八百屋。薬屋、帽子屋、うどん屋、、文房具店、時計屋などいっぱいあった。前はパチンコ店(後の東海銀行)でその奥に銭湯があり、夜遅くまで人の行き来があり、ざわめいていて、ウキウキ感が子どもこころにはあった。お店の奥に4畳半の小部屋があり、そこから眺める身長150センチ足らずの母の背中は、いつも大きく輝いて見えた。
春と秋はみたらし団子を蒸し器で蒸すところから臼をつき、団子の大きさにカットして串に刺していく。その後お店で焼いてタレをつけて販売をする。夏はかき氷を提供し、冬はお好み焼きを材料の調達から、材料の仕込み、タレ作りまで一人でこなしていた。すべて手づくりであった。空いた時間は、たばこの1カートン売りで外商にでかけていた。高度成長前の昭和の時代、貧しさも見え隠れする中、私たちこども3人は、貧しさを感じず育つことができた。
 一人で耐えて耐えて生き抜いた母は50代に入り、一挙に病魔が襲う。膠原病/シェーグレン症候群である。この病は、免疫の働きの一部が過剰に活発化して自分自身の正常な組織を攻撃する。以前から関節リウマチの傾向はあったが、私が見ている前で人差し指がみるみる変形していく姿は、驚きに堪えない。その後、唾液がでない。涙が出ないと症状に苦しむ。さらに病魔が襲う。52才乳がんである。医師からリンパまで転移していると言われ、右胸を全摘される。女性のシンボルが無くなり、心配したが、一言もそのことには触れず、今まで通りの生活を続ける母はなんとすごいことだろうか。
 私もサラリーマン生活で、県外転勤を除いて、母が住む自宅から通える範囲で行動していたが、35才豊橋で独立起業し、42才結婚をして自宅を離れ、住まいの拠点を豊橋に移した。一人暮らしをする母には、週1回程度用事を作っては会いに出かけていた。そして48才。アクシデントに襲われる。母は78歳であった。妹の嫁ぎ先、佐賀県唐津市で看護師を続けるかの地に母を委ねることにする。それから13年間。母にとっては異郷の地唐津での生活が始まった。88才での脳梗塞及び後遺症、最後の3年間の寝たきり生活を除き、身辺周りは自立して、おだやかに生活を送ったという。私も、毎月の唐津行きが習慣となり、福岡での仕事も増えていった。唐津のおくんちで楽しかったこと。一緒に温泉や食事にでかけての、他愛のない会話が今は懐かしい。
 いくつかの偶然を感じる。三河地震と東日本大震災そして母の死。祖父の死48才と私が今の仕事についた48才。祖父のやり残した仕事は、地域の人たちを元気にしあわせにしていくことだった‥‥。私の第2期が今だとしたら、91才で母がやり残したことを、第3期人生の最終章で出会えるのかも知れない。
 母の強い意志は3人子たちに引き継がれている。周りの噂話を気にもせず、頑固に、自らの道を進む。ひたすら、真面目にしたむきに一生懸命努力する。当時松山善三監督のろうあ夫婦を描いた小林桂樹・高峰秀子主演の映画「名もなく、貧しく、美しく」母はこのタイトルのような人であった。清く正しく生き抜いた母の一生は、私のこころの中で、永遠に生き続けている。                     加藤政実

「この国のこれから、真の独立を考えてみたい。」(WACNETNEWS2023年2月号) 

 今日の新聞一面はアメリカバイデン大統領と岸田首相との日米同盟、新段階へ対中共同抑止のコピーが飾る。今年令和5年がいよいよ始まった。今回はこの国のこれからを考えてみたい。
 日本は、これまで大化の改新、明治維新、マッカーサー改革(先の大戦)と3つの大きな改革を体験してきた。大化と明治は日本人的な改革でその時代の日本が合理性と近代性をもつことができた。しかし、マッカーサー改革は、占領軍政策が大前提にあって、占領目的を達成するために日本の変革を求めてのものであった。すなわち宗主国が自分の占領国に求めた同じ思想が根底にあった。日本に2度と戦争ができないようにすること。日本の弱体化であった。
 ひとつの国が自立するには、3つの大きな柱が必要である。1つ目は宗教的指針(こころの支え)2つ目は軍事力(武装する)3つ目は経済力である。
 1つの国を1つの家族に置き換えてみると良く分かる。家族は妻や子どもたち、場合によっては、祖父や祖母が1つ屋根の下で暮らしていく。父親は家族を1つにまとめるために、考え方や行動指針が必要になる。いわば人が生きていく上での人間力である。そして、この家族を守るために一生懸命働き収入を得る。また、勝手に家族が傷つけられたり、盗難にあったりしないために、同じ地域に生活する他の家族と交流したり仲良くしたりする。
 残念ながらこのマッカーサー改革は、3つの柱の内、宗教的指針と軍事力を解体してしまう。その流れは現在も続いている。
 この国の特徴として、地理上の立地にもよるが、人々の資質にもある。外来からの情報や技術が、この国の人々により柔軟に受け入れられて理想形に置き換えられていく。当時、宗教は、神道と仏教が人々の考え方生き方を支えていた。家には大きな仏壇と神棚、各家には檀家があり、日常の中に自然と生きることへの感謝の気持ちがそこにあった。しかしこの考え方を神道については、神道指令(昭和20年12月15日GHQ指令)により、神社を国が管理する国家神道を廃止し、神社は宗教法人となっていった。
 軍事力の解体は、武装解除であり、非戦力化である。そのため、自衛隊と警察を新たに創設する。自衛隊は憲法第9条に戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認の規定があり、専守防衛を掲げる。警察は、国家警察と自治体警察に分離して公安委員会を作った。これは、別名泥棒を捕まえられない制度とも言われ、全国一斉手配ができないシステムで、過去には日本赤軍グループが国内でなかなか捕まらなかったりした。自治体警察では、最近の安倍総理暗殺事件の捜査が奈良県警であったり、外国要人の警備に各県警が応援体制をとったりすることなどがある。
 昭和20年8月14日に日本は天皇のもとポツダム宣言を受諾する。その後占領軍のもとアメリカ軍の支配下になる。いわば日本でありながら軍事力は、アメリカ軍に所属する。もちろん自衛隊もその中にある。その後、在留米軍の軍事費を野放しで日本が負担するように変更された。1972年5月15日の沖縄返還以降である。この年は、この国にとり大きなターニングポイントであった。佐藤栄作首相が沖縄復帰を実現した後に、田中角栄首相が日中国交正常化を実現する。相手はリチャード・ニクソン大統領とヘンリー・キッシンジャー補佐官であった。ベトナム戦争終結に向けて、次なる獲物を探していたアメリカは、虎の尾踏んだ田中首相を許さなかった。ロッキード疑獄である。
 経済を優先させたいこの国は、アメリカを無条件で受け入れることで、当時アメリカ国内でコスト高に苦しむ製造業をこの国の基幹産業にすべく工業化をめざす。その代償として国内の農業政策を見直し、米づくりから穀物輸入と小麦、乳牛、牛肉による食生活の改善に向かう。農地改革を進め、その結果大地主はいなくなり、農民は小作人集団化して所得倍増、高度成長、工業発展の影に埋もれていった。ターニングポイントは、1985年9月22日ニューヨークのプラザホテルで先進5カ国の財務大臣・中央銀行総裁が集まり為替レート安定化の「プラザ合意」であった。ここで日本は円高誘導される。経済成長に、私たちは満足していたが、アメリカは、日本を競争相手と見るようになる。日本にバブルがやってくる。アメリカはものづくりのシフトを韓国、中国に移し、時を同じく日本も中国進出に熱くなる。
 そして、グローバルゼーションは加速し、日本経済の失われた30年が続いた。甘い餌をまきながら日本国の解体と日本人の喪失感を求める相手はしたたかである。ある意味彼らは大人、私たちはこども扱いだ。かつてビデオ戦争で、ベーターマックスとVHSでソニーグループが惨敗したように今、EVをめぐりテスラ欧米中グループとトヨタハイブリッド車との攻防は、トヨタの方向転換を余儀なくされている。
 何よりも怖いのは、78年の時間経過。私たちの日本的な風土に根ざした考え方が失われようとしていること。3世代から4世代がアメリカの文化や生活に感化され、本来の日本的な文化や生活を失いつつあり、精神性よりモノの豊かさを求め、お金ですべてを解決しようとしていることにある。かつて、ハワイはカメハメハ大王を中心に自主独立の国であった。しかし、今はハワイ州であり、金でしか働けない群れとなってしまった。この国も今の状態が続けば、いずれ日本人のアイデンティティは失われて、創造力も、考えることもなくなり、小さな争いを繰り返し、考えをまとめたり、生み出すことが苦手な依存系の人間ロボットの国になってしまうだろう。
 今私たちにできることは、民主主義国家として、真の意味でのアメリカから独立すること。この国はアメリカの西の縁で東アジアと対峙している。すなわちアメリカの先端基地にあたる。危険極まりない。この国にとって必要なのは、中国、韓国、北朝鮮、ロシアの国とも対等な関係が築ける国家になることであろう。
今年、先の大戦の特攻世代、20才だった青年は98才を迎える。15才だった少年で93才になる。今のこの国の現実を想像できたであろうか。家族は、バラバラに切り離され、誰もがひとりぼっちとなり、ひとり旅立っていく。周りに家族や地縁血縁の人のいない状況がそこにある。今からでも遅くはない。家族を、地域を、この国を真の日本に戻していこうではありませんか。                          加藤政実

「未来のぼくへ!ぼくはひとりぼっちではない。」(WACNETNEWS2023年1月号)

 ぼくのこと、一人ひとりのことを考えてみたい。存在としてのぼくはここにいる。ぼくの未来もここにある。ぼくの過去もここにある。一見存在としてはひとりに見える。しかし、ぼくは、ぼくを創造したぼくという一人の体の核とつながり、過去の自分とも未来の自分ともつながっている。決して一人ぼっちではない。ぼくのアイデンティティはぼくの中にあり、それは38億年前に海から誕生した生命が3億5000年前に陸に上がり、数万年前にぼくの元になった人類ホモサピエンスにつながる。
 ぼくの意識は、地球の中心の核につながる。恒大な宇宙の中心にある創造神につながっている。ぼくは生かされている。ぼくは生きている。宇宙に浮かんだ水の惑星地球は、暗黒の中にひときわ輝きを感じる存在でもある。
 地球とぼくの体のなかでは、同じようにネットワークを組み共鳴している。喜び、哀しみ、怒り、嘆き、興奮、失望感、楽しさなど喜怒哀楽が存在している。ぼくは生きている。ぼくの細胞のひとつひとつには、父がいて母がいて祖父母がいてその先にご先祖がいる。もっと先に行くことで、ぼくは、自分の周りに存在するすべての人たちがぼくであることを感じとる。感じられる。
周りにいる家族、働く仲間。この地域で一緒に生活する人たち。日本列島で生活する人、東アジアやアフリカ、中東、ヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアで今を生きるすべて人がぼくであれば、ぼくをつくる60兆個の細胞のひとつひとつであれば、愛おしくあり、感じられる。
 ぼくの体は、病気になることもある。事故による簡単な外傷から体の欠損、そして末期的なガンまで、しかし自然治癒力もあり完治とはいかないまでも、回復して元気に生き続けることができる。ぼくの周りにも、ぼくがいて、認知症であったり、障がいであったり、生活に困窮していたり、イデオロギーが違っても、老若男女であってもすべては、ぼくの一部と言える。
 多くの時間が長い長い漆黒の闇の中にあるとしたら、ぼくの生きている時間は、本当に短い、長くて100年。目の前にある太陽も、山や森のかぐわしい香りも、表情を変える変幻自在の海も、きれいな街並みも、いきなりの嵐も爽やかな風も、この光り輝き色とりどり事物も自然も、ぼくの世界を拡げてくれる。
ぼくの意識のアイデンティティが、長い時代を乗り越えて生き続けた様に、ぼくは今の現実と格闘しながらも、変化をいとわず、ポジティブに、未来のぼくに向かい働き続ける。ぼくはひとりぼっちではない。60兆個の細胞がぼくを孤独にさせない。世界80億人がぼくにつながる。ぼくの一部だ。ぼくは生きている。
 未来のぼくに再会できる楽しみを残して‥‥。                     加藤政実
※「ぼく」をご自身の名前に変えて読んでみてください。

「転換期の日本!真の日本の独立をめざした安倍晋三」(WACNETNEWS2022年12月号)

 時の流れは早い。今年ももう12月である。停滞する自分自身を感じながらも、この転換期の時代を象徴する今年のできごととは、やはり安倍晋三であろう。
 仲間から名古屋で5月20日に安倍元総理の講演会「日本の復活、憲法改正に想う」(主催:名古屋経営者漁火会)があるから行ってみないかと誘われ、金山にある市民会館フォレストホールのステージ。前から10席の場所から、直接さわやかでハイトーンの生の声を聞いたのが私としては最後であった。
 亡くなった安倍元首相の妻昭恵氏と母洋子氏に宛てた、プーチン大統領からの弔電が当時話題となった。「尊敬する安倍洋子様 尊敬する安倍昭恵様 あなたがたのご子息、夫である安倍晋三氏のご逝去に対して深甚なる弔意を表明いたします。犯罪者の手によって、日本政府を長期間率いてロ日国家間の善隣関係の発展に多くの業績を残した傑出した政治家の命が奪われました。私は晋三と定期的に接触していました。そこでは安倍氏の素晴らしい個人的並びに専門家的資質が開花していました。この素晴らしい人物についての記憶は、彼を知る全ての人の心に永遠に残るでしょう。 尊敬の気持ちを込めて ウラジーミル・プーチン」
 首相在任中プーチン大統領とは27回もの首脳会談を重ねていた。安倍氏の構想の中には、強いロシアと強い日本が、お互い共存できる場所探しがイメージにあったのではないか。日本は長い間、アメリカによる設定された地政学的状況を受け入れてきた。対して安倍氏は現代世界において、特にアジア太平洋地域において日本の場所を見出そうとした。アメリカとの同盟関係を維持しつつ、日本の独立性を確保しようとした。
 多くの日本の知識人と政治家は、しばしばアメリカの立場を自分の見解のように述べる。安倍氏は、そうではなく、自分の理念を持っていた。もちろん彼は、反米でもなかったし、親ロシアでもなかった。政治家として独自の行動をした。現実としてもロシアと日本の関係発展のために重要な役割を果たしていた。
国葬:友人代表弔事
(R4.9.27 菅義偉元首相)
「七月の、八日でした。信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。
 あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気をともにしたい。その一心で、現地に向かい、そして、あなたならではの、あたたかな、ほほえみに、最後の一瞬、接することができました。あの、運命の日から、八十日が経ってしまいました。あれからも、朝は来て、日は暮れていきます。やかましかったセミは、いつのまにか鳴りをひそめ、高い空には、秋の雲がたなびくようになりました。季節は、歩み進めます。あなたという人がいないのに、時はすぎる。無情にも過ぎていくことに、私は、いまだに、許せないものを覚えます。天はなぜ、よりにもよって、このような悲劇を現実にし、いのちを失ってはならない人から、生命を召し上げてしまったのか。口悔しくてなりません。哀しみと、怒りを、交互に感じながら、今日の、この日を、迎えました。しかし、安倍総理…と、お呼びしますが、ご覧になれますか。ここ、武道館の周りには、花をささげよう、国葬儀に立ち合おうと、たくさんの人が集まってくれています。二十代、三十代の人たちが、少なくないようです。明日を担う若者たちが、大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。総理、あなたは、今日よりも、明日の方が良くなる日本を創りたい。若い人たちに希望を持たせたいという、強い信念をもち、毎日、毎日、国民に語りかけておられた。そして、日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ。-これが、あなたの口癖でした。次の時代を担う人々が、未来を明るく思い描いて、初めて、経済も成長するのだと。いま、あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者として、これ以上嬉しいことはありません。報われた思いであります。
 ~中略~ 
 TPP交渉に入るのを、私は、できれば時間をかけたほうがいいという立場でした。総理は、「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」という意見で、どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。一歩後退すると、勢いを失う。前進してこそ、活路が開けると思っていたのでしょう。総理、あなたの判断はいつも正しかった。安倍総理。日本国は、あなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など難しかった法案をすべて成立させることができました。どのひとつを欠いても、我が国の安全は、確固たるものにはならない。あなたの信念、そして決意に、私たちは、とこしえの感謝をささげるものであります。国難を突破し、強い日本を創る。そして、真の平和国家日本を希求し、日本を、あらゆる分野で世界に貢献できる国にする。そんな、覚悟と、決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは、常に笑顔を絶やさなかった。いつも、まわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。
 ~中略~ 
 あなたの机には、読みかけの本が一冊、ありました。岡義武著「山県有朋」です。ここまで読んだ、という、最後のページは、折ってありました。そしてそのページには、マーカーペンで、線を引いたところがありました。しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。「かたりあひて尽しゝ人は先立ちぬ今より後の世をいかにせむ」深い哀しみと、寂しさを覚えます。どうか安らかに、お休みください。」
 今も、1951年9月8日アメリカとの間で交わされたサンフランシスコ平和条約。日本は未だ本当の意味の独立を果たしていない。海外からの要人も、アメリカだけは、厚木基地からフリーパスで東京都内に入ることができる。不思議に想う。東アジアとアジアを取り巻く環境は、パワーバランスの上に成り立っている。属国が何を発言しても始まらない。そこを強く感じて、安倍元総理はロシアともアメリカとも渡り合える唯一無二の人であった。サハリン1,2問題も、他国が全面撤退している中で日本は現在も粘って交渉を続ける。尖閣問題もアメリカが容認した中で中国が動いているようにも見える。積極的な東南アジア首脳外交、自由で開かれたインド太平洋の創造など、将来のために一歩一歩積み上げていく途上であった。人は目先のことに一生懸命になることが多い。彼は世界で日本の立場を踏まえてその環境づくりこそ日本の未来があると信じて戦ってきた一人と言える。その意思を継ぎ、私たち一人ひとりも未来のため感性を持ち日本と日本人のため歩んでいきたいものだ。
加藤政実  

「農医福でつなぐ森と緑のガーデンシテイⅢ」共生き志本主義(WACNETNEWS2022年11月号)

9月19日エリザベス女王の国葬が英国ロンドンのウエストミンスター寺院で執り行われた。建物の持つ歴史的な重みと伝統、宗教の意味を感じ得るイベントであった。その後、時を経て、ウインザー城へガラス張りの霊柩車に棺を載せ、兵士が歩いて向かう姿にアナログとデジタルの融合を見た。この葬儀の模様は、全世界41億人(全人口1/2)に中継されていた。時代の読みが浅く、決断力のない日本と英国の違いを改めて感じる機会となった。エセアングロサクソンからの脱皮を望みたい。
経済的指標で見みると1990年のGDPはアメリカ1位で日本が2位、ブロック経済圏が進む現在は、中国1位、2位EU、3位アメリカ、4位インド、5位日本と続く。国際競争力ランキング(IMD)では、2009年17位、上位に食い込めず、2019年30位、現在アジアではシンガポール、香港、台湾、韓国の後に続く。アングロサクソンと日本人の考え方の特性を理解した上で、国としては真の自主独立を果たすことが必要不可欠である。また、故稲盛和夫氏の経営論に「人間として正しいことを正しいままに貫く」という言葉がある。今の社会にとり、国の政治を担う人、経済活動を担う人、社会基盤をつかさどる人すべてに共通する基本理念ではないだろうか。
依存系の国民にとり、強いリーダーシップをとり、一人、未来を開き得る人材は、国レベルでは難しいかもしれない。しかし、一地方としてはトライする価値を感じる。我欲よりも利他の精神で、家族を、地域を、国を、世界を愛するアントレプレナーの育成が必要となる。ある意味NPO的考え方であるが、グローバリズム一辺倒の社会では、地域のお金の循環は起きにくい。逆に地域はどんどん循環するお金の量が減っていき貧しくなっていく。私たちにとり、地域で循環するお金の量を増やし、地域で回していくことが、雇用を増やし、お金を地域に増やす結果となる。さらに、いえば地域社会資本を生かして、他の地域から、外国から人々がやってきてお金を落としてもらえる仕組みづくりが必要といえる。
現在の民主主義の背景は産業革命以来の資本主義の考え方にある。世界のしくみは実体経済より金融経済規模が、約倍近くあり、このお金の量が個人株や投資家に流れ、経済を支えるしくみになっている。その結果、アングロサクソン、アメリカと中国にその恩恵が届き、現在もアメリカと中国の間では、お互いの貿易収支で揉めている。1985年プラザ合意。アメリカは日本との間で、円高にすることで調整できたことが、中国との間でできないジレンマを感じている。私たちも個人のお金は増えず、ウクライナ・ロシアの戦争の結果、物価が上がる状況は、望んでいないし満足もしない。
今、私たちがやるべきことは、地域社会を豊かにするための、地域のアントレプレナー(社会と政治と経済に貢献できるリーダー)を生み出すことにある。方法論としては、①行政や地元企業から希望者を募る方法、難しければ②東三河地域にルーツを人たちに呼びかける。さらに難しければ、③東三河の自然や人々に興味を持ち、新しい時代を先導してみたい、アングロサクソン的日本人を日本はもとより世界に呼びかけ、日本の地域創生パイロット事業に参加を促す。その際の費用(生活費等個人の給与)は、そのまま旧所属企業等に協力をお願いしたいものだ。
日本の高度成長を促した人材教育は、ある面で、標準的な人材育成には成功した。1993年バブル崩壊から30年、私たちの社会は、社会の安定を望み、一定の満足のもとチャレンジ精神を忘れてしまった。海外では、個性豊かな人材が、チャレンジしIT事業を初め多くのアントレプレナーを生み出している。しかし、日本の社会は、相変わらず金太郎飴的人材の中で安息の日々を過ごす。福祉という準市場までも、一般市場として扱い景気浮揚策に使われる。結果、コミュニティは崩壊し、多くのこどもたちは障がい枠にはめ込まれていく。こどもたちに必要以上の薬は不要。No More Drug. No More Pesticide.
このシリーズ「農医福でつなぐ森と緑のガーデンシテイ」構想はひとまず筆をおく。
尚、大きなくくりでは、私たちがめざす理想社会を「共生き志本主義」と呼びたい。  加藤政実

「農医福でつなぐ森と緑のガーデンシテイⅡ」アントレプレナー(WACNETNEWS2022年10月号)

 そんなに遠くない未来には、国の枠はなくなり、都市や地域が、世界につながる。私たちが今使っている一台のパソコンから世界へつながるように、都市や地域が簡単に世界の都市・地域つながるイメージを創造してみると良い。
 ユーラシア大陸の西と東にある島国、英国と日本。お互い国王と天皇をもつ国であるが、民族的には、相反する資質をもつ水と油の関係にある。9月8日にエリザベス2世(96歳)が逝去された。国王としての在位70年は歴代最長でもあった。21歳の女王就任時に、「私の全人生はたとえそれが長くても短くても、国民の皆さんと英連邦にささげることを誓う」の言葉を残す。ヨーロッパ、スカンジナビアを源流とするアングロサクソンは、オランダ、英国を経て、英連邦を形成した。その後各国は独立。カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、マレーシア、シンガポール、南アフリカなど56カ国がある。そして最大の移民先のアメリカ合衆国。日本との縁も深い、江戸時代のオランダ出島、そして明治政府と英国。太平洋戦争に突入する原因にもなった1921年日英同盟の破棄。そして戦後1945年以降のアメリカとの蜜月関係が現在も続く。
 家族人類学者であるエマニュエル・トッドが描く家族型によると、アングロサクソンは、絶対的核家族で表現される。特徴1…遺産相続は、必ずしも平等でなく、親の意思で分配率が決まる。特徴2…結婚した子どもは両親と同居しない。特徴3…兄弟のこども同士の結婚はない。:子どもの頃から自由は大切にするが、平等についてはさほど重視されない。逆に、不平等が当たり前な環境で人が育つため、競争意識が強くなり、集団の中に巻き込まれて、自己を見失うようなことがなく、どこまでも自己の責任で、わが道を守り、新しい道を切り開いて行く独立心にもつながる。それが資本主義を成長させる原動力にもなった。
 一方、日本人は、父系権威主義的家族に分類される。特徴1…財産は一人の息子(長男)だけに引き継がれ、兄弟間は不平等な関係。特徴2…一人の息子だけが両親と同居。特徴3…兄弟の子ども同士の結婚はほとんどない。:権威への尊敬が自然に育まれる。そのため、官僚制が発達しやすい。また、秩序と安定を好む傾向が強く、政権交代は少ない。自民族的になりやすい。子どもの時から、愛情豊かな家庭の中で育てられるため、親の思い通りなる素直な子どもが生まれやすい。その反面、無責任な、相手まかせの性格が養成されてしまう。外見は、他人への気配りが上手で、世間に対しても従順で、協調性があるように見えるが、この鬱積した鬱憤が集団の中で爆発して、付和雷同、旗振りの言うままに行動して、「みんなでやればこわくない」感覚をもつ。このグループに、ドイツ、スウェーデン。スイスが含まれる。
 さて、今回のテーマである地域を動かすアントレプレナーをいかに創るか。アメリカシリコンバレーの流れをくむ、中国深圳、インドバンガロール、イスラエル、ドバイ、エストニアなどIT産業、バイオ産業、金融産業などは、もうすでにアングロサクソンがリードして世界を動かしている。
 日本のポジショニングは、社会それも地域社会にスポットを当てたい。自分のことよりも利他の精神で、地域社会を再構築するアントレプレナーを育てることが必要となろう。地域の社会起業家づくり。東三河の立地はけして悪くない。愛知県は、現在もモノづくりでは、日本をリードしている。狭い地域にモノづくりのノウハウの集積があり、ITと連動することで、新しいビジネスが生まれる。農業も、世界の常識オーガニックにいかにチェンジできるか。自然農業のルーツ福岡正信の意思をいかに継続できるか。これからが正念場である。
アメリカがリードするハイブリット種子F1が商品として普及していけば世界は終わる。農業・医療・福祉・芸術が地域を変え世界を変える。政治から経済へそして地域社会へ、足元の地域を見つめていきたい。次回へ続く。                                            加藤政実

「農医福でつなぐ森と緑のガーデンシテイ」豊橋・東三河 (WACNETNEWS2022年9月号)

 未だ紛争が絶えない国と国、ウクライナVSロシア、台湾VS中国。国境がなくなる日。いつの日か世界の国々が手をつなぎ世界共和国(世界国家)に、まだまだ道のりは遠く嶮しい。共生き社会の実現に向かい、まずはこの地域のことを考えてみたい。
 豊橋市を中心にした東三河のこれからのまちづくりはズバリ「農医福でつなぐ森と緑のガーデンシテイ」を創造したい。
 人口は70万人からエリア規模で100万人が目標。豊橋市で50万~60万人。他市町で50万人程度。豊橋市の場合、①中核都市では初めての行政区を実施し、中区、西区、東区、北区、南区、二川区、大清水区に分け、よりきめの細かい住民主体の行政を行う。お互いの行政区が特徴を持ち、競い合いまちを活性化させる関係をつくる。
 ②未来のまちは、デザイン的に美しい街、スマートな街、恋人と散歩したくなるような街をイメージする。まずは現在の街の景観を活かしながら、中和的役割としてのグリーンによる緑豊かな空間を描いてみたい。樹木は枝を払いきらず現在のような丸裸状態、幹だけにはしない。街の基調は、無機質から有機質に、ナチュラルテイストに徹する。将来的には、カラーや屋根など外観のマテリアルに条件を施しても良い。中心市街地は歩道とサイクリングロードを充実して、車の移動を禁止する。夜間早朝時間帯のみ車の移動できるロードを規制緩和する。すなわち中心市街地はテーマパークのようなイメージをもつと良い。モータープールはその周辺に配置する。(中区)
 ③住宅には、ガーディニングを奨励したい。年間ガーデンニングコンテストを実施し、まち全体の取り組みに変化させていく。すなわち緑豊かな空間の広がりを住宅地にも展開する。もちろん、環境整備は、そこに生活する住民が担い手、ガーディニングを通して地域の人々がつながり、その効果として環境整備が進み、将来的に多くの観光客の誘致にもつながる。(西区、東区、南区)
 産業としては、この地域の特徴である農業を前面に、農本主義、農風景、日本的風土の維持にある。田原市、豊橋南部の全国一の農業地帯を背景に、現在の農業を維持しながら、④石巻以北で世界の常識オーガニック農業への推進を図る。1軒当たりの農業規模を40haに、そしてスマート農業への展開、空き家、空きビルをコミュニティの場に生かしていく。将来的には農作物や加工品を豊橋港から輸出産業に成長させる。⑤さらに世界に向けての情報発信と研究のための豊橋農業大学院大学(仮称)の設置と、⑥農業医療福祉のソフトウェア開発拠点「東三河AMWバレー」(仮称)の設置が考えられる。(南区、北区、大清水区)
 医療福祉についても考えてみたい。⑦医療福祉資源を市民のものだけでなく、国内大都市から、また世界からのリハビリセンター、保養地としての機能をつくる。その為には、⑧日本語以外に英語、ポルトガル語、中国語、韓国語などを話すケアワーカー、ナース、OTなどの育成。⑨中長期滞在型の農業を軸としたリハビリメニューの充実と、滞在できる医療福祉施設、ホテルも必要となる。また、⑩将来的に旧豊橋海軍航空隊基地跡(大崎島)に、プライベート飛行機の、航空ターミナルができれば、いろいろな活用ができるだろう。(南区、北区、西区)
 時代のスピードと変化は非常に早い。ヒトはそのスピードに戸惑っている。その中でまさに格差社会は、拡がろうとしている。現実の今に対処するだけでなく、近い未来遠い未来を予測しながら、豊橋市という軸を保ち、一定の産業構築を描き、今この地域で生きる多くの人々を誰ひとり取り残さず、誰もがしあわせを感じとれるごく普通の日常を取り戻していく。
 また、見方を変えれば、この地域の産業特性を把握して、地域として一定の規模を維持しながら、まち自体が、経済的に循環するシステム、ものづくり+観光にさらに海外からの医療介護需要を見込む。その結果、暮らしてみたい、行ってみたい地域、世界一をめざして……みたい。               加藤政実

「9条と日本の自立 自立した立場で世界に貢献する」(WACNETNEWS2022年8月号)

日本のいちばん長い日8月15日がやってくる。GHQ占領政策プログラムで進められた日本国憲法制定は、昭和21年11月3日公布、昭和22年5月3日施行(1年前5月3日は東京裁判開始)された。※11月3日は明治節明治天皇の誕生日。
広辞苑で引く自立とは、「自分以外のものの助けなしで、または支配を受けずに、自分の力で物ごとをやっていくこと」「能力や経済力、身体などに関し、他者に依存せず行動すること」とある。
 日本国憲法第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しないと。国の交戦権はこれを認めない。いわゆる戦争放棄条項である。
 バイデン大統領が副大統領時代、2016年8月ペンシルベニア州民主党集会で、「私たちが日本が核保有国になり得ないとうたい日本の憲法を書いた。」と発言。日本の歴史でも江戸幕府は、強大な軍事政権であり、軍事と行政の実権を持っていた。明治政府も富国強兵を旗印に国を軍部と行政で運営させた。この第9条は何を意味するのか。
 ウクライナは、1991年ソ連崩壊後に独立をはたす。その時1240発の各弾頭と176基の大陸間弾道ミサイルをもち、当時世界第三位の核兵器を保有していた。独立後もそれを保持しようとしたが、アメリカ、イギリス、ロシアから核兵器を放棄して、核兵器不拡散条約(NPT)への加入を強いられる。その後、フランスと中国も加わり、国連常任理事国の総意のもと、3年間ですべての核兵器を放棄する。そして、「ウクライナの領土保全や政治的独立に対する脅威、または軍事行使に対する安全を保障する」(ブダペスト覚書)を交わす。しかし、2014年、ロシアによるクリミア併合の際、この約束は反故にされた。
今回のウクライナ侵攻も、なるべくしてなったとも言える。NATO主導の代理戦争は続く。ロシア側から見れば広義のロシアを構成する大ロシア(ロシア)、白ロシア(ベラルーシ)、小ロシア(ウクライナ)の内紛とも言える。国境線間近に迫るNATOからの脅威からの脱却ともとれる。
 在日米軍の存在は、沖縄嘉手納、普天間から横須賀、佐世保、横田と全国に拡がり、その駐留経費は、現在1年約2110億円の負担となる。それよりも悲しいのは、日米地位協定により軍や軍人と民間人によるトラブルは、軍法会議で裁かれ日本人の被害者が泣き寝入りを強いられる現実もある。
もうひとつ、ウクライナとの共通点がある。ウクライナは独立後、多くの優秀な国民がヨーロッパ各国に移民した。国そのものの存在感が小さくなり、グローバルゼーションは、国民に国境意識を薄くさせる。しかし、国がなくなれば、全てはなくなる。流浪の民である。
 航空自衛隊や海上自衛隊から領海侵犯に、スクランブル発進をする。レーザー照射や嫌がらせを受けても、相手を攻撃することはできない。相手はこちらの出方を見ているが、憲法9条が重くのしかかる。隊員の命やストレスはどんなものだろかと想いを馳せる。
ウクライナと同じ最前線に位置する極東日本。ロシアは北方領土や北海道を狙う。津軽海峡を横断する。北朝鮮からは、ミサイル攻撃と拉致被害にさらされ、韓国からは、対馬や竹島への領海侵犯がある。中国は、尖閣諸島から台湾と日本への足がかりを狙う。攻撃できないことを知ってか縦横無尽に行動される。
憲法9条は問われている。平和主義とは、本来「戦争がない状態をつくる主義」のことである。戦争がない状態をつくるためには、「戦争を起こさないこと」と「他国に戦争を起こさせないこと」が必要となる。私も従来から戦争のない世界、平和主義を理想としてきた。これからもずっと変わらない。
しかし「共生き社会主義」の実現のためには、力の論理も必要となる。それはウクライナが証明している。日本は、アメリカに依存するだけの生き方でなく、自分の国は、自分で守り、対等な関係を各国と築く必要がある。世界で唯一長崎と広島を体験した国、そして福島原発事故を経験した国が、自立した立場で世界に貢献することは当然といえる。敗戦から77年目、人間でいえば後期高齢者である。いよいよ自分の足で立つ時が来ている。
                                            加藤政実

「生きていることは奇跡。生き方を変え行動を変える。」(WACNETNEWS2022年7月号)

2003年いざ宇宙へと旅立とうとした矢先に起こった米スペースシャトルコロンビアの事故に遭遇。宇宙航空研究開発機構(JAXA)を今年6月1日退職した宇宙飛行士野口聡一は語る。「宇宙は基本的に死の世界で、生きていることは奇跡。地球も奇跡のような星です。」「宇宙から見た地球はすごくダイナミックで、水の惑星なのでいろいろな景色、表情がある。命があるという証しだと思います。」過去初めて宇宙空間に出た人間、ソ連のユーリ・ガガーリンは「地球は青かった。」とまた、ジェミニ、アポロなど複数の経験を持つジーン・サーナンは「地球は宇宙のオアシスだ」という名言を残す。
●命の惑星地球を汚染する原因とは?
1. 大気汚染は、人間の呼吸器に問題を起こし、生態系に悪影響をもたらす。 原因は①工場排ガス・自動車排気は気管支炎、喘息を発症。 ②フロンガス排出は皮膚がんを発症。
2. 地球温暖化は、地球の平均気温が上がると北極南極の氷雪が溶ける。地球規模で水位をあげる。原因は二酸化炭素の過排出から気候変動、干ばつ・豪雨被害を起こす。 
3. 海洋汚染は、生態系に問題を起こし、飲料水の確保が難しくなる。原因は①マイクロプラスチック ②重油汚染 ③河川への工場用水、生活用水のたれ流しにある。
4. 土壌汚染は、人間への影響はもちろん地域の生態系を壊し、動植物が生きていけなくなる。汚染が長く続く。 原因は、農薬、有害物質(工場、排気ガス、廃棄物から)。
●命の惑星地球に住む私たちは、今何をすべきか。
私たちは、地球も人間も同体で、地球に起こる異常気象も火山の噴火もあらゆる天変地異も地球の叫びであるとの認識をもつこと。同じように私たちの身体も、湿疹や、がん、内科、精神科などあらゆる病気につながっていることを感じる必要がある。国や行政の政策に頼るのでなく、私たち自身が、行動を起こすことが必要となる。小さな一歩は、できるだけゴミを出さないようにする。車の使用を控え公共交通機関を利用する。歩くことや身近な日常に幸せを感じる生活に切り替えることが大切となる。
西洋に学び、物質的に豊かになる産業資本主義の考え方から、江戸時代まで遡り、そこにあったエコ社会を、さらに進化させた形をポスト資本主義(共生き社会主義)と呼びたい。これからの時代、一人ひとりの個人欲の達成ではなく、公共のサービスにいかに展開していくか。それが市民型NPOの究極の役割だと思う。世界的な格差拡大と国内の格差拡大の中で、強い立場の人たちが評価されるのではなく、弱い立場の人たちの暮らしと仕事を創り、守ることが評価される社会になって欲しい。人生いかに生きがいをもち、終末を迎え旅立てる社会の構築に向かって欲しい。それは、人にも地球にもやさしい社会の創造と言える。
 私たちも、地球も生きている。生きることは、美しい面もあるが、苦難も多い。私たちの祖先ヒト族は、学習すること、群れることで多くの試練を乗り越えてきた。今からでも、遅くはない。まずは、この地で、生き方を変え行動を変えてみよう。                             加藤政実

「一日が一生の生き方 今この時間を大切にしてほしい。」(WACNETLETTER2022年6月号)

 人は生きる。しかし永遠にいのちは続かない。一生をどのように捉えるか。考えてみたい。普通の人の一生は生まれてから死の告知を受けるその日までをいう。ある時、私は一日の成り立ちとして一日に着目してみた。朝起きてからベットに入り休むまでの時間。この一日を一生と捉えれば、100歳までを到達点として36500回生まれ変わることができる。朝起きて一日が終わるまでこの一日が一生としたら、悔いのない一日を精一杯生きるしかない。精一杯できることをやる。何回もいろいろな可能性にチャレンジできる。
一日の大切さを肌で感じたのは、2011年3月11日東日本大震災のその日がきっかけである。人は生かされていて、見えない力に翻弄される。非常時、非日常はいつ起こっても不思議ではない。この年、同じ月の25日に私の母も他界した。享年91才であった。母子の絆は、少し認知が入った状態までも続く。88才脳梗塞を発症し、内頸動脈がつまり、少しずつ衰えを、本人よりも周りが心配しだした。最後まで自分のことより、子たち孫たちの行く末を心配しながらの旅たちであった。
成年後見のしごとを始めてから早13年がたつ。普通の元公務員であったSさんと出会ったのは8年前、ちょうど実子を事故で亡くされた後、ご縁で任意後見の手続きと死後事務委任契約と公正証書遺言をサポートした。本人はいたって元気で生活は自立していた。趣味は写真。特に渡り鳥と蝶を追っかけ国内から台湾まで撮影にでかけ、年に一度は地元の画廊で仲間たちと一緒に展示会を行うなど活躍されていた。本人の希望もあり施設より自宅で一人暮らしの生活を優先して過ごす。85才を過ぎてもしばらく車の運転を続けるが、接触事故を機に車を手放し、バスや鉄道を使って移動し、伊良湖岬や伊豆半島へ、桜の時期には花を求めて、自由な楽しみを堪能されていた。
前立腺と糖尿病に持病はあったが、生活に支障はなく、通常の見守りで週1回家のお掃除と買い物支援を続けていた。近くの内科にも自力で通院できた。しかし、今年に入り急に様子が変化し始める。何故か買い物に一人ででかけ家に戻れない状況が続く。認知症が少しずつ進行する。その結果、警察に保護されること実に3ヶ月で3回。4回目が起きた段階で、ついに本人が嫌がったホームへの入所に舵をきる。4月28日入所。その後、食事の偏食と不規則は解消され、ホームの生活にも少し慣れてきているようだ。笑顔もみえる。2階コーナー部屋からは、季節を感じさせる自然の風景が見渡せる。まだまだ一日一日大切な時間をしっかり生きて欲しい。92才の彼のこれからを、やさしく見守っていきたい。                          加藤政実

「障がい者アートから学ぶ ひとりひとりの生き方」(WACNETNEWS2022年5月号)

デザインの時代、芸術の時代がやってくる。一部のクリエイターが語るアパレルやイラスト、美術デザインのみではなく、地球も、日本も、地域も自分の人生までも、ひとりひとりがクリエイターとして表現できる世界がやってくる。
 現実に今、それを体現している人たちがいる。その名は障がい者。生きることに、一人では行きづらい場面は確かにある。しかし、個人の想いを、生まれた時と同じように持ち続け、堂々と自己主張をしながら生きている。社会の枠にはまらない、自由なひとびと。その中でも、とりわけ私たちにメッセージを発信し続けるひとたちがいる。それは、障がい者アート(アウトサイダー・アート/アール・ブリュット)を描く作家たちである。ひとりひとりが発する生きるメッセージは、とにかく自由である。発想も表現も、素材も、鉛筆、マーカー、クレヨン、ボールペン、油彩も、水彩もなんでもありの世界なのだ。素晴らしい。
 昨年、トヨハシブリュットアートコンテストに応募し、入賞した作品の中には、車いす生活の作家が、本人の使える腕の可動域の範囲内で、タバコの吸殻を、1年かけてバベルの塔のごとく積み上げた作品や、家庭で不用となったサランラップの芯に、作家の日常生活を描いた作品など、ユニークな表現がたくさんあった。(5月14日まで法人内展示中)
 私たちは、気づくべきである。私たちひとりひとりが、失ってしまった自由な発想や感性を、障がいを抱える彼ら彼女らの自由な発想から刺激をもらい、これからの生き方に活かすことはできないだろうか。子どもの頃、描いた夢や夢中になったコト・モノは、いっぱいあることだろう。年齢は、問わない。気づけば変われば良い。今からでも遅くはない。求められていることは、ひとりひとりの違いや能力を、今の社会は必要としている。
 もう一つ思うことがある。ウクライナをはじめ世界は、破壊と暴力の姿を見せている。今、私たちにできることは、戦いではない未来を描く価値観の創造にある。言葉も人種も生まれた場所も関係ない。それは、障がい者アートで、世界の人たちを結ぶ。アートは表現である。言葉を必要としない。世界はたったひとつ、多くの国の障がい者がアートを通じて、つながることで共生きの実践が生まれ、行動が時代を変える。その発信の拠点を日本のこの地東三河に創ることはできないであろうか。まったくの妄想とは言えないが、妄想は未来を開く。                                               加藤政実

「和を以て貴しと為す-和とは共生きのこころ」(WACNETNEWS2022年4月号)

ロシアのウクライナ侵攻が止まらない。昨日も劇場に避難する多くに市民や子どもたちが犠牲となった。悲しい現実である。行政のトップは常に、弱い人々を救済し、安全安心な社会をつくることにある。
さて、日本はというとG7の一員として、代理戦争に加担する。欧米国家の歴史は、市民も巻き込んだ皆殺しの歴史である。一方日本は、農を基本とする社会で、武士同士の戦いはあったが、決して農民を巻き添えにはしてこなかった国である。
この特質的な考え方はどこから来たのか。考えてみたい。
縄文時代、日本人は自然界の動植物を狩猟採集して食料としていた。ドングリなどの木の実や食用野草類、そして川や海からとれる魚介類など多様な天然資源であった。人びとはその食料を与えてくれる自然界の何者かに対して畏れと感謝の念を抱くようになっていく。
やがて弥生時代。稲作が始まり、雨や日照など自然の力に対する畏怖と感謝の気持ちはさらに深まっていく。自然には晴れて穏やかな日もあれば、風雨のさかまく嵐や雷の日もあり、時には地震による山崩れや洪水、落雷による火災など被害をもたらすこともあった。自然の諸相の中に、日本人は人知を超えた霊力を感じ、人びとは、そのような荒ぶる力(荒魂)や穏やかな和らぎの力(和魂)をもつ霊的なものを「カミ」と呼び、自分自身の微力さを自覚して祈りと感謝を捧げる信仰を持つようになる。
山・川・海・風・雷・雨など自然の諸相の中にカミを感じ、山の大木や巨岩あるいは海の岩礁などを神々の依り代とみて、しめ縄をはり、食物を供えて神を祀るようになる。そして、八百万神及びその神霊と神威に対する祭祀を含めて信仰を「神道」と呼んだ。自然崇拝は、やがて自分たちの親、祖先を敬い崇める祖先崇拝なり、さらに地域、氏族を守る神(氏神)へ、そして瑞穂の国(日本)を統べる天皇崇拝へと繋がっていった。
その後、百済から儒教と仏教が伝わり、「天皇、仏法を信じ、神道を尊ぶ」考え方が確立する。そして推古12年(604年)、聖徳太子(廐戸王子)が「憲法十七条」を制定する。
第一条 和を以て貴しと為す-和とは共生きのこころ
人は心の通い合う和の精神を大切にし、不毛な争いが起こらないように“共生き”の精神で支え合うことを第一とせよ。人はみな私利私欲・煩悩・執着にとらわれて無明(私欲にめがくらみ、真実がみえないこと)であり、よくよく悟った人は少ない。そのため、親兄弟や社会の人たちと仲たがいしたりする。けれども誰もがお互いに和やかな心で親しみを以て話合えば、きっとわかり合えるようになるし、何ごとも解決できないものはないであろう。
憲法の意味は「人として正しく生きるためのてほん・みち」そして、和の精神とは、みんなが一緒に生き生かされている“共生きのこころ”をいう。                              加藤政実

桑園の夢!新しい日本のシルクロードとオーガニックは東三河豊橋から!!(WACNETNEWS2022年3月号) 

 東三河最後の養蚕農家海野久栄さんが2020年12月13日、コロナが猛威を振るう最中に旅立たれた。大正14年2月14日生まれ享年95歳であった。コロナの渦中の葬儀は、親族以外葬儀に参列は許されず、マスクを付け、声も出せず、静かにお別れするのみであった。 
彼が生みだす、三河に平安時代から知られる絹糸ブランド「赤引きの糸」は(明るく清らかの絹糸の意味)、伊勢神宮で神が着用する冬の御衣(和妙・にぎたえ)の原料となり群馬県で糸となり、冬の神御衣祭(かんみぞさい)に毎年奉納されていた。
私と海野さんとの出会いは、友人を通して5年程前に知りあい、何度も新城市出沢の彼の自宅やその近くにある養蚕現場蚕室を訪れた。自家製の桑の葉を、バリバリ音を発てて食べる姿、変容する愛らしい蚕たち。回転まぶしの動く速さにびっくり。古い道具が大切に使われていることなど、今は思い出される。
私自身、2007年に豊橋市牛川で1.5haの畑で有機野菜やハーブの栽培を始めてから早15年。農と食の転換点2017年。世界は大きくオーガニックに舵を切った。しかし、日本は変わらない。動かない。MACもモスもハンバーガーのバンズに挟むパティを大豆たんぱくやコンニャク、昆虫などを原料にする時代。このジレンマは・・・。
東三河は、農業を進化させてきた日本の中でも、トップレベルの農業地帯である。しかし、農薬を使う。農薬を使う農業の行末は、人間を動物を自然環境をも蝕んでいく。しかも、有機農業を業とする人々は、志は高いが、ほとんどが零細で資金力もない方が多い。この相容れない条件を変えていく必要性を強く感じて、悩んで、たどり着いたのが桑の栽培と蚕のセット養蚕であった。
この地域で有名な小渕志ち。何故豊橋にやってきたのか。その理由は、この地域が桑の葉の一大生産地であったからである。先史の人々は、この地域に入植する。海路から伊良湖岬と御津へたどり着く。その人々が、持ち込んだのが桑の実(ログワ)。蒲郡市の赤日子神社、豊川市に犬頭神社、新城市三河大野の服部神社「赤引きの糸」、豊橋市の安久美神戸神明社などがその歴史を今に伝える。
さて、最終章である。2021年12月6日、私たちは動き出した。2006年5月蚕糸業法と製糸業法は同時に廃止され、それまでの検査基準はなくなっていた。しかし、過去の基準を今も守り続ける桑苗生産者に出会い、検印のある桑苗約3300本を仕入れ、12月23日には豊橋市石巻地区の畑2haに定植した。寒さもあり春を待ち、残りは2月28日から3日間で合計約4000本の定植は完了する。今秋9月には秋蚕の飼育が始まる。新しい日本のシルクロードとオーガニックの夢は、今、東三河豊橋市からスピードをあげる。          加藤政実

私たちは、良き祖先になれるだろうか・・・・!(WACNETNEWS2022年2月号)

現在をどこに着地するか。今年はちょうど戦後といわれた太平洋戦争終結から77年、明治維新から太平洋戦争終結までが77年。明治大正昭和を生きた人々と昭和平成令和を生きる人がクロスする。現存しないがもし人が歴史を俯瞰することができれば今年で154才?
江戸時代は関ケ原から明治維新まで約260年。過去にさかのぼれば、縄文時代が1万年、弥生時代は550年と続いた。
 日本の企業は、長生き、長寿といわれる。世界の創業年数が100年以上、200年以上の企業を国別に調査した資料によると、日本はともに世界1位となる。(シェア41.3%)さらに200年以上となると相変わらず1位ではあるが1340社、シェア65%とダントツである。

表 創業の古い上場企業ベスト10
企業名         創業年 年数    本社     業種
松井建設(株)     1586  434    東京都    一般土木建築工事業
住友金属鉱山(株)   1590  430    東京都    銅1次精錬・精製
養命酒製造(株)    1602  418    東京都    蒸留酒・混成酒製造
小津産業(株)     1653  367    東京都    織物卸
ユアサ商事(株)    1666  354    東京都    各種商品卸
岡谷鋼機(株)     1669  351    愛知県    鉄鋼・加工品卸
田辺三菱製薬(株)   1678  342    大阪府    医薬品製剤製造
住友林業(株)     1691  329    東京都    木造建築工事業
小野薬品工業(株)   1717  303    大阪府    医薬品製剤製造
タキヒョー(株)    1751  269    愛知県    婦人・子供服卸

 時代のターニングポイントにいる私たち。いつも思うのであるが、私たちひとりひとりの一生は短い。私たちは、先人たちが築いた財産の上に今の私たちの生活、社会がある。道路も、森も、地域も、神社やお寺など社寺仏閣も今でも残る。
 今、森の形は維持されているが、間伐材を除去するにも苦労する。江戸時代にも、社寺仏閣や大名の屋敷、庶民の長屋など材料として樹木を伐採しすぎて、危機的な時代があった。時の将軍徳川家治は、徳川家による森の植林整備に取り組み、1760年から約100年かけて大規模プランテーション農業(森林再生)を実施した。今も私たちは、その恩恵のなかにいる。
 今、世はモノに溢れ、お金を持つことを目的に生きる人が多い。しかも私たちは、そのお金に振り回されている。これで良いのか……。モノを大量に作り出すために、人がロボットのように感情も情熱も家族も犠牲にして尽くす。アメリカ社会の模倣はもう止めて、立ち止まり自らが自らの頭でもう一度考えてみたい。
私たちの先達は、いろいろな場所から、この島国にたどり着いた。そして、小さなコミュニティをつくり暮らしを支え合った。お互いを認め合い、たすけあい暮らす社会を実現した。クリエイティブな社会をめざした。そこには生きていくための、食べ物と知恵ビトそして自然が循環していた。もう一度潜在意識を最大限パワーアップして、生きるチカラを呼び戻そう。確認しよう。
 目先の欲に翻弄されずに、長いスパンで時代を俯瞰して、現在のひとりひとりの生活を見直し、ミライにつなげよう。先は7世代先「200年」、おじいちゃん、おばあちゃんの思いを夫婦で受け止め、子どもたちへ、そして孫へその先7世代めざして、理想の共生社会を、小さく始めて大きく拓く、夢をいっしょにつくりあげていこう。弱い人も偉い人もない。人種差別もない。お金持ちも貧乏人もない。私たちは同時代を生きる同志。みんなでたすけあい、今できてなくても少しずつ、めざそう「みんなのしあわせ」(肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、全てが満たされた状態にある。「幸福」「健康」「福祉」ウエルビーイングを実現するために、ウエルフェアを整える。)。
私たちひとりひとりは、良き祖先になれるだろうか・・・・。               加藤政実

原点回帰「WACNET.Vision to2030」再スタート!!(WACNETNEWS2022年1月号)

あけましておめでとうございます。今年も未来にチャレンジ、地域の方にも、我々にとっても、素晴らしい1年になることをめざし、精一杯努力していきたいと思います。
 WACNET.グループのミッションは「みんなのしあわせ」。過去2019年10月20周年事業の中で「WACNET.Vision to2030」を発表しました。(骨子は次の通り)
「愛は国境を越えていく 地域のしあわせ!世界のしあわせ!
未来がどう変わるか 誰もわからない
現実を踏まえて 明日があると信じる
多くの市民が明るい社会を描けば 必ず未来は明るい社会となる
超高齢者少子化社会人口減
児童虐待 シングルマザー 孤独死 介護放棄
老老介護 認知症 精神障がい30% 発達障がい急増
農薬 薬物依存 一人暮らし世帯38%
私たちWACNET.は対処法として地域課題・生活課題に向き合い
解決のため20年間活動してきた
めざすは生活圏コミュニティーの形成と地域創生 地域社会機能の復活
医療福祉と産業が程よい関係を保つ
一人ひとりが精神性を保つには程よいスケール感と目に見える距離が必要である
生活圏コミュニティ+生活圏コミュニティは地域圏域をつくる
 持続可能循環型地域社会(SROC)
 私たちはグローバル化する社会と人間が、人間らしく生活するコミュニティを同時に手にする
 今、大きなチャレンジが豊橋市向山・南瓦町から始まる!!!
 地域にある問題・課題は、アジアの国でも近未来に起こる現実である
 この壁を乗り越えることで、ノウハウとシステムが生まれ、日本の役割が生まれる
 地域の課題に向き合うことでマーケットは生まれ、解決することで市場は拡大していく
 時代は創るもので 与えられるものではない!!
 愛は国境を越えていく 地域のしあわせ!世界のしあわせ!
 WACNET.Visionは生活圏コミュニティを小さくつくり
 お互いがたすけあい、シェアし人間らしさを優先する世界を描く
 そこには高齢者・障がい者・生活困窮者・シングルマザー・外国人など
 差別はなく、共に生活し、たすけあい暮らす
そして目に見える産業がそこにある
 ディーセント・ワークがあり、NPO発のベーシックインカムがある
 そして、地域にあった形で地域を活性化し、個性のあるまちを誕生させ、人々の暮らしを豊かにする
 その先には、世界のまちを活性化させ、人々の充実した生活を実現させる
 「愛は国境を超えていく 地域のしあわせ!世界のしあわせ!」
 2020年1月中国武漢でコロナウイルスが発生し、我々の社会通念を一転させた。しかし、人はなかなか変われない。今までの生きてきた歴史や、その中で培った技術や考え方に支配され、それから一歩前に踏み出したり、人と変わった考え方や今の自分を変えることに躊躇したり怖がったりする。でも、今の社会モデルもスタートから77年、明治維新からも154年である。周りを見渡しても、万物はすべて常に変化している。私たちも、その一部だとしたら、変化することが当たり前で、変化しないことのほうが不自然であることを学ぶべきではないだろうか。コロナウイルスもすごいスピードで変化を続けている。地震も、異常気象も、地球環境はバランスをとろうと必死だ。私たちが描いた未来が間違っていたとしたら、私たちは、傲慢は捨て、謙虚に、自然の一部としての一人ひとりの人の活動を、地域を、産業を見直してみる必要があるのではないだろうか。
新しい年、令和4年は自分で考え歩き始める年。一人ひとりが新しい自分に生まれ変わる唯一無二のチャンスと捉えたい。WACNET.グループも2年間のコロナ禍の停滞を抜け出し、変化し続けることを約束する。                                                   加藤政実

「ひとすじの涙・・・今を生きる!今が幸せ!Sさん親子人生の軌道!!」(WACNETNEWS2021年12月号)

 昭和20年6月19日深夜から未明にかけてB29による豊橋空襲は街の中心部を焼き尽くし624人の死者を出した。その2日後、今回の物語の一人Sさん(当時12才)は、現在の1号線の一本南にある旧東海道を、自転車のペタルを勢いよく漕ぎながら疾走していた。街の瓦礫の片付けに参加する父親を捜して急いでいた。それから78年後令和3年にそのSさんからの相談を受ける。
 結婚後Sさんは、33才の時に第3子として長女Rさんを授かる。残念ながらRさんは、知的障害と身体障害を合わせ持って生まれた。幼い頃は、Sさんの温かい愛情によりハンディキャップはあるが元気に育つ。学齢期には当時の教師の的確なアドバイスもあり小中学校は普通クラスを選択。なんとか乗り越える。高校は養護学校高等部を選択し、無事卒業を果たす。その後一般就労で豆腐屋勤務を5年程経験した後、当時家族会が立ち上げた市内の社会福祉法人に出会い施設入所する。自らも参加して、娘の仕事と生活を見守りながら楽しく過ごす。屈託もなく、快活なRさんは、お友達も多く、人生を謳歌しているようにも見えた。
 暗雲が立ち込めたのは、4年前、脳出血で突然倒れる。行きつけのMクリニックを受診、そこでは処置ができずI病院へ救急搬送され、結果右脳出血で入院、左側麻痺となる。その後リハビリ転院でN病院へ入院。車いす生活で3ヶ月を過ごす。その後退院。一度自宅に戻るが同月検査結果によりI病院へ再入院。リハビリを続け1ヶ月後、施設に戻るが翌日I病院へ再々入院。左脳出血を確認。気管切開手術を経て3ヶ月後今度はZ病院へ転院する。そこで今度は左視床出血を伴う四肢麻痺と意識障害となり、同時にコミュニケーション能力を失う。そして令和1年8月褥瘡が9cm程に拡がり治療するが治らず、Sさんが何度もZ病院と交渉して転院希望を出し、令和2年1月I病院に最々々入院。5ヶ月程かけて治療を行う。そして、令和2年5月A病院へ転院。寝たきりで胃瘻から栄養補給。意思疎通なし。現在も入院生活を続けている。
 Sさんは語る。「褥瘡がひどい時にRさんが見せたひとすじの涙・・。この涙から私はなんとかしなくちゃとがんばってきた。」現在Sさん88才Rさん54才。Sさんは現在も小型の車を運転し、待合せ時間には遅れず、言葉は、はっきりとしっかり話す。人生を過酷ととるか。生きがいととるか。誰もわからない。最後が病院を転遷しなければならない今の社会システムは確かにきつい。でもきっと二人は最後まで生きるチカラを最大限に発揮しながら、人生を渡りきって行くことだろう。
 私たちのできることは、Sさんのできない事務的な支援を成年後見制度など最大限に活用しながら、Sさんと共にRさんを次のステージに安心して送り出すこと。そしてSさんの最後の生活をしっかり支えて行くことにある。                                             加藤政実

水の惑星と云われる地球(WACNETNEWS2021年11月号)

新型コロナウイルスは、自分ひとりでは健康になれないことを、誰もが思い知らされた。どんなに自分の心身を完璧に保とうとしても、人は、環境の変化に翻弄される。明らかに人は、環境と一体で生かされている。人と人、人とコミュニティ、人と社会、人と生態系、人と地球が、連続し、相互依存する一つの有機的なネットワークであると・・・・。
水の惑星と云われる地球を支えるのは海である。命はそこから生まれる。人を支えるのは命の血液、腸の工場を経て、体全体を循環しながら必要なところに必要な栄養を補給していく。しかし今、海は、化学物質ででき多くの自然に帰れないプラスチック等素材で溢れ、自然の浄化作用を超える。異常気象は、季節を変え、予期せぬ大災害を引き起こす。地球は悲鳴をあげている。 
一方、人は飽食の時代を生き、生活習慣病、脳梗塞、心筋梗塞やアトピー、花粉症、喘息、皮膚病など血液に由来する疾病に苦しむ。人に襲いかかり体の内外で牙をむく。
近代の医学は、本来、全体がネットワークとなり、相互に影響しあっているカラダとココロを分断し、さらに、カラダを交換可能なパーツとして分断し、どんどん細分化して行った。この分断思考が、自分以外の他者や、自然との連続性を失わせ、人を孤独に追いやりながらエゴを増幅させ、「自分だけ健康に幸せになれる」という思い込みを生んだ原因であろう。
人が自然を支配し、社会システムを構築した結果、人を含む地球全体の病を生んでしまった。心身の病気や飢餓、貧困など社会問題、環境問題など、SDGsの課題は、全て人が自ら生み出し、全体を破壊しながら自らの首をしめているという自己矛盾の中にある。
私たちは、2007年以来、豊橋の地で、農薬を使わない農業をただひたすら続けている。全国1の生産額を誇る田原市はじめベスト10の常連豊橋市、浜松市を抱えるこの地で、逆説的に表現すれば農薬大散布地帯で、微生物とともに土づくりを中心にした農業を障がい者や高齢者そして自然農法を愛する人々と一緒に続けている。
今、世界はオーガニックに大きく変わった。相互依存する一つの有機的なネットワークは、一つにつながり土の微生物と腸の微生物もお互いに影響し合う。大地の森も腸の森もお互いに繋がっている。私たちは、循環する世界に生きている。                                  加藤政実

「縄文からのメッセージ」(WACNETNEWS2021年10月号)

縄文の声が聞こえる。自然を畏敬し、自然から必要なモノを必要な時に必要なだけ取得し、自然とヒトが一体となり宇宙とも繋がった循環型社会カーボンゼロの世界がそこにあった。
ニューヨーク同時多発テロ9.11から20年、タリバンは政権に復活し、アメリカ軍はアフガニスタンを全面撤退した。日本でも、明治維新から始まった殖産。西洋に追いつけ追い越せと富の頂点をめざした経済目標は、バブル崩壊と共に30年前に終わった。その頃の働き盛り40才は、今70才、その波風を強く受けた20代は今50代になる。次の目標が見えずさまよい続けている。
思えば、インドの労働力を使い、英国で始まった産業革命。大航海時代があり、収奪と戦争、富の集中が起こり、ヒトが商品となり売買される。日本は、中国アヘン戦争の後、最後の処女地として目標にされ、英国リードで明治維新が起こる。その後西洋組の一員として、戦争と殖産に励む。しかし、日英同盟破棄をきっかけに、太平洋戦争を経て、同じルーツをもつ、アメリカに引き継がれる。アメリカを目標に励んだ日本人。
日本の縄文時代南限は糸魚川から諏訪湖を経て、浜名湖。今でも青森県三内丸山遺跡にも劣らぬ諏訪上社元宮(茅野市宮川)が生きた縄文文化を伝えている。日本では稲作が伝わった弥生時代は、みんなで分配する社会から、生産を上げ余剰をつくり利益を生む世界への出発点になる。長が王となり大君へ、日本の天皇が生まれ今の時代へと引き継がれていく。
明治維新はある意味、この島国で培ってきた共存共栄の社会から大競争社会へと転換期であった。また、1945年太平洋戦争敗戦は、私たち日本のルーツ失うきっかけをつくる。そして今、ルーツは途絶え、ひとりひとりがバラバラにされ、一人で亡くなっていくという蒼茫の世界が拡がっている。
私たちの未来は、過去にヒントがあった。進化は過去に戻ることではない。人は進化の過程で、群れをつくり、多くの時代をくぐり抜けてきた。もう一度、地域をみつめ、群れるというコミュニティーを再生させ、家庭生活を取り戻し、強欲を捨て、ヒトは一人では生きられない。日本にしか生まれなかった共存共栄の共生社会を、今この東三河豊橋から始めてみたいと思う。地域みんなのしあわせ!「みんなのしあわせ」      加藤政実

「夫婦ふたり最後まで暮らしたい」(WACNETNEWS2021年9月号)

 昨年の11月、ケアマネSさんより後見と身元保証の依頼を受ける。夫妻はご主人Kさん88才、奥さんAさん96才「夫婦ふたりで最後まで暮らしたい」の実現にむけてプランを練り上げる。人生の半ばで、手に職を持つ板前のご主人が当時普通の家庭の奥さんのAさんと駆け落ちという暴挙に出る。そして豊橋市内に移り住む。二人は仲睦まじく生活を続け、暇を見つけて出かける全国の温泉地めぐりが楽しみであったという。
 私が出会った頃のAさんは、声を上げるだけの寝たきり状態で、Kさんが食事から下のお世話まで、健気に寄り添う。在宅のホームヘルパーはほぼ毎日のように利用しているが、それでも足らない状態であった。要介護4 病状はアルツハイマー型認知症と変形性腰椎症、心不全。
 残念ながらAさんは、8月7日9時8分に天国に召された。7月7日にS病院に緊急入院し、20日には、口からの食事は取れなくなり、点滴による水分補強中心の医療的支援が進んでいた。8月5日にはS病院から難しいとの意思表示も入っていた。残念ながらコロナ禍で、今回も入院後は一切直接の面接は叶わなかった。
 サラリーマンと違い社会保険が充分に整っていない時代を生きた二人。今年の春までの要介護1は、ある意味元気な高齢者を実践していたのだろう。私も出会ってから何とか二人が一緒に暮らせる高齢者施設を探すが、単身はあっても、年金の範囲内で二人が一緒に住める住居は見つからない。かなり低い確率で見つかっても順番待ちがあり、いつ入れるかわからない。
 Aさんを通して、こんなに短期間で人は老化を経験するのか。
Kさんは、AさんがS病院に入院してから、日常生活も維持できないくらい異常行動が増えてきていた。生きる望みを失うことで、こんなに一挙に変わるのか。今、目の当たりにしている。ついにKさんは、自宅での生活が維持できなくなり、ショートステイを利用した後、当初二人で入居予定の順番待ちをしていたD施設にまもなくおひとりで入居する。
 東京オリンピックとコロナ禍、アスリートたちの姿は、互いの敬意や友情を育むスポーツの素晴らしさと感動を一瞬私たちに届けたが、1兆6000億円以上の総費用。前回東京オリンピックが開催された10月をさけ、極暑に実施されたこと。コロナ対策など、今やるべき重点課題「誰もが安心して暮らせる地域社会の実現」にはまだまだ遠い。    加藤政実

身近を革命する人たち(WACNETNEWS2021年8月号)

ソーシャルワークという言葉を知ってますか。狭義では、社会福祉士や精神保健福祉士という資格をもつ人たちをソーシャルワーカーと呼び、国際的な定義では①実践をベースとした専門職、学問分野であり②地域や民族に固有の知からなる理論を土台に暮らしの課題に取り組み③ウエルビーイングを高めるべく、人びとやさまざまな構造に働きかける仕事と定義される。
すなわち、ソーシャルワークとは、実践と学問を結びつけながら、人間の福祉を高めるため、人びとやさまざまな構造に働きかけることで、その人が抱えている「生きづらさ」を改善するため、その周囲にいる人たちや、問題の背景にアプローチしていく仕事といえる。
  最近の実例として、母はシングルマザー、その子娘はご主人からのDVでうつ病を発症。娘の子ふたりは、障害児施設と児童施設に離れ離れ。母子の住まいは、まもなく強制立ち退きの期限が迫っている。福祉・医療など専門家ソーシャルワーカーのみの限界を感じる。また、不登校の子がいる。家庭では、ネグレクトが疑われている。学校には先生やスクールカウンセラーがいるが、その網にも限界がある。
これらの人びとの原因は、まずしさや、会社で働く条件や人間関係、親子の確執、親の介護の負担、子の育児の負担、夫婦間の不和、金銭的なトラブル、身体的な不調など数えきれない。また、加害者である親自身が被害者という側面も見え、親が自分の状況に苦しみ助けを求める姿も浮かんでくる。
 私たちは、今、地域包括ケアシステムの中にある。「医療や介護が必要な状態になっても、可能な限り、住み慣れた地域でその有する能力に応じ自立した生活を続けることができるよう、医療・介護・予防・住まい・生活支援が包括的に確保される。」本当にプロの専門家が中心で、私たちはついていく人、いったいそれで良いのか。
 孤独と孤立が進む地域社会で、一人ひとりが人間という生き物の間をつなぐ。この人たちこそが、ソーシャルワーカーと呼べるのだろう。それは、一人の訪問看護員でも、スーパーの店員でも、主婦でも、学生でも、行動と思いがあれば誰でも実現できる。そして、互いが互いをケアできるまちづくりこそがソーシャルワーカーが地域を変え、社会を変えていく。                             加藤政実

辻井伸行(WACNETNEWS2021年7月号)

純粋無垢な澄みわたるピアノ演奏に世界は驚いた。辻井伸行(ピアニスト)は、産婦人科医の父と元アナウンサーの母のもと、1988年に生を受けた。出生時から眼球が成長しない小眼球症と呼ばれる原因不明の障害を負う。幼い頃から耳がよく、音楽に合わせて足をバタバタさせたり、CDの演奏者の細かい違いも聞き分けていた。2歳でピアノを弾き始め、5歳の時に、人前で初めて演奏を披露する。本人もこの頃から「人前で演奏したい」と夢を語り、演奏家としての萌芽が見え始める。小学校に入学する頃には、母子は、覚悟を決める。プロの演奏家になると・・。ここから厳しいレッスンの日々が始まった。
10歳で大阪センチュリー交響楽団との共演で鮮烈なデビュー。17歳の誕生日を迎えた直後、世界最高峰の「ショパン国際ピアノコンクール」へ挑戦。350人中80人が通過する予備予選、さらに32人へと絞り込む一次予選も通過。そして二次予選へ、ファイナルの出場を前にあえなく落選。挫折を経験する。高校卒業後、ピアニストとしてCDデビュー。全国ツアーも成功。そして20才、一大決心をして望んだ「ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール」へ挑戦。みごと日本人で初優勝を飾る。辛くても諦めず夢を叶えた瞬間であった。
多くの人々の心を動かし、涙するほどの感動を与えるのは、生まれもった障害にとらわれることなく、“耳の良さ”という才能を鍛え上げてきた本人と、伴走者としての母いつ子さんの彼への観察力とやさしいまなざし、そして想像を絶するほどの努力の賜物といえる。こころに描いた夢は必ず実現する。辻井伸行さんの生き方は私たち一人一人にも勇気を与えてくれる。まもなく東京パラリンピックが開催される。多くのアスリートたちの大いなる夢にエールを贈りたい。加藤政実

見果てぬ夢(WACNETNEWS2021年6月号)

 日本では関ヶ原の戦いの頃、1605年スペイン。ミゲル・デ・セルバンテスの小説「ドン・キホーテ」が発刊された。現実と物語の区別がつかなくなった主人公が、自ら遍歴の騎士となり冒険の旅に出かける。痩せた老馬をロシナンテと呼び、農民サンチョ・パンサを従者に、田舎娘を憧れの貴婦人ドゥルシネ-アとして慕う。旅は冒険につぐ冒険、40基もの風車を巨人と思い込み戦いを挑む。現実と仮想が交錯するストーリー、滑稽なほど純粋で熱血漢である主人公。最後は現実に帰り故郷で一生を終える。1965年にはブロードウェイミュージカル「ラ・マンチャの男」となり、日本でも歌舞伎の松本幸四郎が1200回の公演記録をもつ。私も若き日、名鉄ホールで公演を見、体を熱くした思いがある。コロナ禍の今、私たちは、ドン・キホーテに何を感じえるのか。
「だめだぞ、ドン・キホーテ、人生の息吹を深く吸い込んで、いかに生きるべきかを考えよ」
「己の魂以外、己のものとなすなかれ」「現在の自分を愛さず、将来の自分を愛せ」
「快楽のみを追うな」「常に先に目を向けよ」(セリフより)
「見果てぬ夢を夢見て かなわぬ敵と戦う
 耐え難き悲しみに耐え 勇者も行かぬ場所へ走る
 正し難き不正を正し 清き純潔を遠くから愛する
 君の両腕が疲れても挑み 届かぬ星に届かんとする
 これぞ我が探求 あの星を追い求める
 どれほど絶望的で どんなに遠くても
 正義のために戦う 疑わず 休まず
 地獄さえ厭わぬ 天の大義の下
 私は知っている この栄光に満ちた探求に
 忠実でありさえすれば あの世に旅立つ時も
 我が心は安らかで穏やかなり
 この世界をより良きものとするのは探求なのだ
 一人の男が 蔑まれ 傷だらけでも
 届かぬ星に届かんとするのだ」(歌曲見果てぬ夢より)
 人の一生は短く、しかも早い。一人ひとりが喜劇を演じようが、悲劇を演じようが、季節はめぐる。春の来ない冬はない。今、コロナという逆境があっても、ハンディキャップを背負った逆境であっても、一定のスパンでみれば社会は巡っている。幸不幸も変化する。人が夢に溺れて現実を見ないのも狂気かもしれない。現実のみを追って夢を持たないのも狂気かもしれない。しかし、一番憎むべき狂気とは、あるがままの人生に、ただ折り合いをつけてしまって、あるべき姿のために戦わないことなのではなかろうか。    加藤政実

障がい者アートと共生社会(WACNETNEWS2021年5月号)

 人はひもじく、生きるために働く。そんな時代がまもなく終わろうとしている。経済すなわちお金を一番の価値と捉えた時代は・・・終わる。食べることに窮しなくなった時、人は何に価値を求めるのか? 日本でも戦国時代は、戦いに明け暮れ、土地(領地)の確保に一生懸命になっていた。それを終わらせたのが信長。千利休の茶室、茶道文化は茶器茶道具が戦利品として使われ武将に与えられた。文化が武士階級で広がりをみせた。
 そして現代、人々は、まだ物質的にも精神的にも、過去の時代にいる。お金・お金・欲・欲を貪っている。しかし、格差は拡がるばかり、世界はさらに大きな格差の広がりの中にある。
 私たちは、16年前から障がい者の芸術活動の推進を図っている。10年の歴史をもつ「一枚のはがきアートコンテスト」の作品は全国から毎年1000枚を越し、「トヨハシブリュットアートコンテスト」は昨年基準に達した応募作品で139点。その内海外からの作品も21点含まれる。私たちが今できることは、多くの人々に障がい者アートから、表現の自由や可能性のメッセージを贈ること。人々に今の社会の見えないバリアを取り除くこと。人々にそれに気づいてもらうことにある。
こどもの頃、自由に空想したり、描いたり、演奏したり、束縛もなく、制限もなく表現する楽しさがあった。そして大人になる過程でそれは失われていった。障がい者アートからその気づきを伝えたい。その先には、ごく普通に生きる人たちが、人間性を真に取り戻していく。そして次の時代、文化が社会のキーワードとなり、芸術(アート)が人間として一番の生きる価値になり目的となる。人々の生きる感性が地域に溢れ、ヒトとヒトが認め合い生きる共生社会に一歩近づく。                              加藤政実

東日本大震災から10年(WACNETNEWS2021年4月号)

 東日本大震災から10年。3月11日当時のTVで流れた大津波の脅威がフラッシュバックする。10メートルの防波堤を軽々と越えて、まるでプラモデルのように、家や建物を破壊していく自然のすごさ。嵩上げされ区画整理された大地に、点在する家々、そして今日、黙祷する人々。戻らない町並み・・・。
 しかし、私にとり2011年3月25日は、母の命日(享年92才)でもある。この日訃報を聞き、母の住む佐賀県唐津へ向かった。10数年前、ひとり暮らしをしていた母を、看護師の妹夫妻が案じ、一緒に暮らし始めた。やっと出会え、やすらか顔を見た瞬間、涙がひとすじ流れてきた。
 1945年1月13日午前3時38分、三河湾沖を震源とするマグネチュード6.8の三河地震が発生した。母はその真っ只中にいた。白んだ空は真っ赤に染まり、建物1階部分は潰れ、祖父は下敷きで即死。叔母も即死。父は戦争で出征中。余震は昼夜を問わず続き、外でテントをはり、しばらく暮らしたという。戦争から帰郷した父は、私を含めて3人の子をつくるが、道楽を続け、母は今で言うシングルマザー状態で働き続け生きた。大きなストレスは、身体にダメージを与え、乳がんと膠原病を発症し、私が見ている前で、人差し指が大きくカーブして曲がるのを目撃したこともある。
 日本も、地域社会も今大変な時代に遭遇している。しかし、試練こそ自己成長のチャンスであると信じたい。日本の未来も、東三河の未来も、大きな流れに乗っていれば大丈夫という時代から、ひとりひとりが、自分で何が正しいか、何が間違っているかを、考え行動に移すこと。自分だけでなく、利他のこころを持って「みんなのしあわせ」を願い本音で生きたい。日々人生と格闘しながら一生懸命生きる。これこそひとりひとりに与えられた至宝である。                                       加藤政実

WAC+(WACNETNEWS2021年3月号)

地域の連携が進まない。縦割りの社会を求め続けて75年、行政も、企業も、社会もその弊害に溢れている。GAFA、EU、中国韓国、東南アジア、インド、イスラエル、エストニアなど世界はすでに水平のプラットフォームを中心に社会は動いているが日本は相変わらず垂直なプラットフォームで、縦割り社会が存在する。
このコラムに3度目の登場のFさん、1年7か月のWACとの繋がりを自ら破棄して逃走した。昨年夏以降、彼の古巣である農業に復帰して、WACスタッフへの登用の道を探していた。
条件は、①メンバーのリーダー格になる。②3か月間トラブルなし。③週5日毎日出勤する。
三段階のステップアップを用意し、最終的には愛知県最低賃金をめざした。しかし最初の3ヶ月でアウト。2段階へ進めない。日々の生活と仕事の中で妄想と幻覚が錯綜する。現実からの逃避を探し、コロナ禍の中病院への入院を何度も試みるが、治療にあたりドクターの指示に従わない彼を、ドクターは許さない。諦めた彼は、パスポートを紛失し、他者に利用されアメリカ移民局から追われているという虚言を、障害総合相談や社会福祉協議会、法テラスに持ち込む。地域連携は言葉では、多職種連携と言われているが、事実は、絵に描いた餅で機能しない。その結果、彼は、更に人生の闇へと道を進めることとなる。
私たちは、本人の描く夢に寄り添い、その目的を達成するために、相談支援の軸、リーダーがいて多職種連携でつなぎ、夢の実現をめざす。それを実現するには、一人ひとりが各分野の専門スキルとプロ意識、人に関する洞察、幅広い社会知識、そしてなんと言っても人としての人格形成が合格点に達していることが必要である。 
私たちは、地域連携が進まない現実を踏まえ、いかに一人ひとりの地域課題を解決していくか。約3年間のワンストップ相談のテストを経て、今年3月より、「誰ひとり取り残さない 地域社会をつくりたい!」をスローガンに相談窓口WAC+(プラス)福祉の窓口を強化する。
また、既設のもったいないファクトリーと連携することで、ワンストップ相談支援と居住支援そして最低必要なモノ(生活用品+衣料+食品)の無料配布を始める。困ったことの個人アクセスは、WEBサイト「東三河ミライ新聞」ヒトとヒトとを繋ぐ地域のプラットホームからの出会いを推奨する。地域の困りごとは地域で解決する。個人の自立と行動が今、求められている。                       加藤政実

地球のミライ(WACNETNEWS2021年2月号)

NHKTV「2030未来への分岐点」が9日に放映された。10年後私たちの住む地球が限界点に達する。北極海の氷が溶け、陸地の水位をあげていく。太陽からの反射機能をなくした氷塊は、シベリアの永久凍土を溶かし、封じ込められていたメタンガスを大量流出する。同時に封印された危険なウイルスが蘇生する。
 このままいくと、2030には産業革命から+1,5度に達する地球の平均気温。この臨界点を超えてさらに気温が上昇すると、温暖化を加速させる現象が次ぎ次と連鎖し、灼熱地球へと暴走を始める可能性があると最新研究で明らかにされた。昨年も7月集中豪雨で球磨川の氾濫、台風19号による長野県市千曲川支流の氾濫があった。海外でも、カリフォルニアの山火事、オーストラリアでの大火事、地球温暖化の原因となる石炭火力発電所は、日本でも最大のエネルギー源である。
 陽光は1月の寒さとともに我々に降り注いでいる。しかし新型コロナの感染拡大は止まらない。人々は感染慣れからか生活スタイルを変えようとしない。車から自転車や徒歩に、公共交通機関を利用する。移動を減らし、お休みは家族と過ごす。飽食を求めず、牛肉から菜食へ、自然と対話しながら過ごす生活、カーボン0社会へ。ひとりひとりが今日から行動を変えることで新しい地球との関係が始まる。スウェーデンのグレタ・トゥーンベリ当時16才から始まった環境保護運動は、若者たちに伝播し、EUを変え、今、世界を変えようしている。
加藤政実

ユニコーン&ミライ(WACNETNEWS2021年1月号)

弾けるポップコーンならぬユニコーンが話題を呼ぶ。世界のスタートアップ企業が500社までに、わずか1年で倍増した。現在アメリカ242社、中国119社で全体の7割を占め、日本は4社を含む。ユニコーン企業は企業価値の評価金額が10億ドル(日本円約1040億円)以上のスタートアップを指す。コロナ禍で電子商取引やへルスケア分野の構成比が高まっているが、日本には、チャレンジする人材と成長後期の資金調達のハードルが法律で規制され、なかなか世界に食い込めない。AIもIOTも正しく利用されることで、世界をしあわせにできる。政治と経済がリードした社会から政治と社会がリードする社会へと変わろうとしている。核心は「みんなのしあわせ」。今年こそ、日本の技術力とノウハウが結びつくことで日本は変わると信じたい。
 私たちも、ひとつの仕掛けをスタートさせるWEBサイト「東三河ミライ新聞」ヒトとヒトを繋ぐ地域のプラットフォームで1月21日(木)に創刊する。(詳しくは次号で)とにかく東三河を元気にしたい。人がどんどん孤立していく中で一人ぼっちにしない。誰でも参加できる。情報の受発信の場として育てていきたい。ジャンルは、環境と福祉とまちづくり、そして楽しみの場、働く場の5つ。特に力を入れているのが、次世代の社会をより良くするための起業家育成とセーフティネットの人々を支援するNPOがつくるベーシックインカムである。 加藤政実

「世界でもっとも貧しい大統領ホセ・ムヒカ」(WACNETNEWS2020年12月号)

月々の報酬をほとんど寄付に当て、自らは約10万円で暮らした「世界でもっとも貧しい大統領ホセ・ムヒカ」2012年の国連のリオ会議のスピーチ(裏面掲載)で世界を驚かせたが、2015年大統領を退任後2016年4月日本にも来日した。8日間の行動は、多くの国民に触れ、帰国後日本の印象を彼はこう伝えた。「日本で私がもっとも驚いたのは、テクノロジーの進歩と、人間が行っていた仕事を変わりにこなすロボットの存在です。日本での体験を通じての結論は、近い将来、人類は人間による仕事を今ほど必要としなくなるだろう。人類はそうした事態に備えなくてはならない。」
 彼ほど共生社会を望み、格差のない社会と自由を望んだ人物はいないだろう。ウルグアイ国内での深刻な不況が招いた社会不安の解消のため都市ゲリラに参加。闘争そして13年の獄中生活。その後のあばら家から始まった農耕自給生活。そして下院議員、上院議員を経て大統領に、5年の任期を終え再び上院議員を続ける。現在85才であるが生活スタイルは変えていない。
 彼は若い人が好きだ。東京外国語大学での講演の中で「私たちは、自分で自分の人生を操縦することができるのです。生まれたことが奇跡であることを理解して、自身の存在に方向性をつけることです。そしてより良いものを実現するために意志を持って闘うことです。そのためには、哲学、倫理、政治が必要なのです。」と訴えた。何度もの挫折にくじけず世界を変えることに情熱を燃やしたホセ・ムヒカに今学びたい。    加藤政実

フィンセント・ファン・ゴッホ(WACNETNEWS2020年11月号)

 フィンセント・ファン・ゴッホ(以下ゴッホ)が気になる。彼が生きた時代は日本では江戸から明治維新(1868年)、明治へと続く世の中が大きく展開した時代である。生まれたのはオランダ エヒブラバント州ズンデルト村。画家を志したのが27才(1880年)32才パリに出てくるまでは、職も住む場所も転々としながら、1ヵ所に留まらない生活が続く。それから4年37才で自ら命を断つ。
 1867年大政奉還の年、フランスでパリ万博が開催され日本も初参加する。万博はご存知のように世界各国の産業の見本市。日本は鎖国が長く海外にアピールすべき産業がなく、登場したのが美術工芸品であった。その中で注目を浴びたのが浮世絵である。ゴッホは、華やかなパリに来て、その中で新しい表現を求める彼の目に飛び込んできたのが浮世絵であった。浮世絵に影響を受けながら作風が一挙に開花する。
 しかし、パリの華やかな生活に溶け込めないゴッホと、画商である愛する弟テオの結婚により、寂しさを感じながらも日本のイメージを求めて南下する。アルルでのゴーギャンとの共同生活が始まり、やがて破局を迎える中で起こった耳切り事件。入退院後、徘徊して意味不明なことを口にする彼を見て警察に通報されたり、市民の野次馬根性により「狂気の人」と呼ばれる。その頃の作品に「夜のカフェテラス」「ファン・ゴッホの寝室」がある。
そして、サン=レミ修道院の精神科病院サン=ポール=ド=モゾール療養院へ。石壁の三畳一間で鉄格子が嵌った部屋から生まれた生きる力を感じる風景画「アイリス」、最高傑作「星月夜」。その後、回復したゴッホは3日間のパリを経て、精神科医ポール・ガシェDrのいるオーヴェル=シュル=オワーズへ。食堂ラヴ-亭3階屋根裏部屋(2畳)で生活しながら「カラスのいる麦畑」、左右1mの横長の遺作「木の根と幹」(地面に張る根をクローズアップした浮世絵的な手法。)を制作。(1890年7月27日ピストル自殺。)
仲の良い兄弟として育ったゴッホと弟テオ二人が織りなす人生ドラマ。同じアートという世界にいながらテオの結婚を機に画家と画商として交わらないストレス。パリにあこがれ、砕かれていくストレス。アルル市民からの偏見と誤解による孤独と日本の浮世絵に対する情熱。ゴッホは、ストレスを作品づくりへ最大限のエネルギーに変えながら自らを昇華させた。生きている間は、苦渋と貧困にあえぐ一生であったが、その後作品は、日本を始め世界で評価され続けている。(テオは1891年1月25日オランダユトレヒト精神科病院で死亡)
 ここでの学びは、ストレスはヒトを成長させる。そこにはそのヒトがこの世界でやらなければならない役割がありビジョンがある。また、ヒトを孤立させない。共生社会の原点は、自分ではなく、相手の考え方、相手の気持ちを大切にすることが必要である。時代の転換期は、いつも社会を進化させる。私たち一人ひとりが、謙虚な気持ちで、過去にとらわれず、倫理観をもち、お金以外の価値観を探し、自分らしく生きることで、地域も日本も世界も未来は好転していくことだろう。                     加藤政実

SさんとTさん(WACNETNEWS2020年10月号)

大きな青い空間が広がっている。そんな光景も一瞬の内に様変わりする。大粒な雨が大地を激しく打つ。大いなる宇宙が悲鳴を上げている。もともと人間は宇宙空間と共鳴していた。人が小さな傷でも痛みを感じるように、地球も痛みを感じる。地球上には現在76億人。これだけの人が暮らす地球に対して、私たちは、最大の感性をもって行動すべきではないだろうか。
 10年来の同志であるSさん、4月の豊橋美術博物館でのアール・ブリュット展の展示が最後となった。5月はじめにアグリカフェで会い、将来の計画を語り、定年後は、WACで絵の指導にあたってもらうはずであった。その後、5月14日に倒れ、右脳中程度出血で左半身麻痺になり、6月17日誤嚥性肺炎、18日危篤ICUで心肺停止。人工呼吸器で一命はとりとめたものの大脳死で脳幹制止状態。この間、コロナ禍の為、病院は、今も面会謝絶の状態が続いている。
 また、任意後見契約のTさんも、現在入院中である。こちらも入院後面会謝絶で中の様子がわからない。ある日、黙って病室を訪れてみた。そこで見た光景は、ソーシャル・ディスタンスではなく、ありふれた病室の姿であった。入院中の本人の様子がわかりにくいのは、私たちにとりなにかしっくりしない。
 私たち一人ひとりの行動は、宇宙の原理、一人ひとりの本来持っている小宇宙とは一致していない。コロナ禍の先は、一人ひとりがそれに気づき行動できるかにある。                     加藤政実

今、自然界は非常に厳しい(WACNETNEWS2020年9月号)

昨夜のTVドキュメンタリー「アファンの森よ永遠に」は、CWニコル(令和2年4月3日直腸がんで他界)が生涯をかけて育てた森からのメッセージであった。森の豊かさは多様性、絶滅危惧種の貴重な生き物や植物が息づく美しい場所。1986年に長野県黒姫高原の荒れた里山の一部を購入し、親友の松本信義氏と共に里山再生運動を展開したエコツーリズムの先駆者である。自然とヒトとの共生は、こどもたちが木に登ったり、そこに芽吹く植物を採集したり、フクロウが帰ってきて食物連鎖の頂点に立ち、樹木から差す光は輝きに溢れ、四季を彩る。懐かしい場所でもある。私たちは、共生社会を念頭に置きながらも、自然との共生を意識しないでいた。多様性はヒトがいて自然があり、生活が息づく。
今、自然界は非常に厳しい。気温があと2度上がると、サンゴ礁の99%が死滅する。気温を2度以内に抑えるには温室効果ガス排出量CO2換算/2010年比、2030年までに25%減らすことが必要である。今私たち一人ひとりがしなければならないことは、今までの生活を見直し、生活を変えることにある。それは一人ひとり今の生活様式の50%削減!車をEVに変えても、多くのモノを生み出す今のシステムが変わらなければ排出量は減らない。モノを作るために使うエネルギーもすべて自然界と環境には影響を与えている。
次の時代、評価基準は、環境や福祉に力をつくす国や地域が評価される仕組みを生み出せば、コロナも大雨も気温40°もいずれ退散していくことだろう。 加藤政実

コロナ禍後の世界(WACNETNEWS2020年8月号)

 コロナ禍後の世界。私たちはどこに行くのだろうか。コロナは一向に収束しそうもない。
ヒトか経済か。政府は経済を優先順位の1位に置く。本当に大丈夫なのか。経済って、一人ひとりの暮らしが良くなるようにはたらくのではないのか。ブレーキを掛けない日本。
 私たちは、1945年以後、産業革命からスタートした西洋の資本主義の真っ只中にいた。優等生で一旦は頂点を極めたが、その後の失速の30年がある。現在では、年収400万円以内の世帯は45%あまり、それに引き換え国民の中流意識は93%とギャップは大きい。欧米では年収1,400万円がセーフティネットの人々の所得なのにどうしてだろうか。海外旅行者が増えると喜んでもそこには原因があり、それだけ周りの国々の生活水準が上がり、日本に旅行に来る意味は割安感があることに他ならない。
 しかし、逆転できる可能性がないわけではない。それには、日本人が作り上げた資本主義の入り口鎌倉時代、法然、日蓮、道元が生きた時代に芽生えた。その後、江戸時代、商業資本主義の発達で流通を中心に商人の礎を作りあげた。そして明治維新、西洋からテクノロジーは入れたが、根幹の考え方は日本そのままであった。
 令和2年、私たちは、今までと逆な考え方で生きれば良い。お金よりも生きがい。モノよりも精神性。我慢するよりも自由な発言。記憶力よりも創造力。そして自分本位よりも利他。
今年1月ダボス会議でステークホルダー資本主義が決議された。このニュースを聞いた時、日本の近江商人が浮かんだ。日本で1000年以上続いた企業は7社(金剛組・池坊華道会・西山温泉慶雲館・古まん・善五楼・田中伊雅・佐勘)、200年以上続いた企業は1340社(世界比率65.0%)、100年以上続いた企業は33076社(世界比率41.3%)である。
 世界で発生するコロナも、異常気象も、大雨も、サバクトビバッタも、ブレーキをかけれない資本主義の末梢現象である。企業もヒトも政府もすべては、有限の地球を俯瞰する中で、命を大切にする自然と動物とヒトとが共生する。奢りと慢心をなくし、ヒトとヒトがつながる。日本の資本主義は、小さなコミュニティがつながるネットワークの社会から生まれた。世界はグローバル社会を経て、日本がかつてイメージした社会に戻ろうとしている。まるで1台のホストコンピューターの時代からパーソナルコンピューターがつながることで多くのことができてきたように、未来はシティとシティが繋がることで多くのことが生まれ化学反応を起こす社会。その主役は「ヒト・人間・命」「100年以上続いた日本の中小企業」
 ひとりも、次の社会に遅れないように準備を今から始めよう。キーワードは循環する地域社会。「まちづくり」「家族」「医療・福祉・介護」「エコシステム」「オーガニック」「アート」
 今、砂の減少が問題を起こしている。蒲郡海岸も、江ノ島も、石垣島も、ワイキキも、景観を維持するために、ビーチに大量の砂を入れている。でも砂は有限である。RCの建物をつくるコンクリートには70%の砂が必要だ。アスファルト舗装にも70%の砂が必要だ。砂の採集地であった川にはダムが、海岸には堤防がある。みんな人間が創ったものなのだ。このままで行くといずれかの未来、ビーチで泳ぐことも、RCの建物も、車が走る道路も材料が足らなくなることも考えられる。必要以上の欲は捨て、風にも花にも星にも、生命を感じとれる生活を始めてみよう。加藤政実

Fサン(WACNETNEWS2020年7月号)

 屋根付きの住まい、温かい食事、楽しみに使えるすこしのお金、そして仲間がいれば人は生きていける。そして、ポジティブに考えられる目的(希望)があればさらに人生は輝く。2月号で紹介したFさん今彼にとり最大の岐路にある。彼は言う「俺は障害者ではない。おふくろと約束した。」脱障害者宣言だ!1年前、彼からの依頼で、横浜まで車で迎えに行った記憶が蘇る。彼の目は、故郷に帰る喜びと私と再開した感情でいっぱいであった。太い信頼で結ばれたように感じた。その後、彼の支援、これから生きていく状況を構築するため奔走した。
 彼には悪い癖がある。お金を持たないのに、それ以上の買い物を平気でする。自分の思い込みで動く。段取りをしていても、突然キャンセル。何度も何度もあったことか。そのたびに、公的支援が途絶えたり、借金はかさむ。でも本人は、居に関せず行動する。借金を危うく感じ金銭管理をするが、今度は、それが本人を追い込むことになる。ストレスが重くのしかかる。最近は、日中の仲間とのトラブルも多く、声を荒げた殴り合いもある。これは、彼の中に、仲間を見下す態度があり、それをメンバーは感じ取る。逃げ場を探し、教会や弁護士の門をたたく。言葉だけなのか。実践を伴った本当の支援なのか。疑問が湧く。
 人はいつも謙虚な存在でありたい。私たちは、身近な問題にかまいストレスを感じる。悠久な時と、少し長い目標を持つことで、今あるストレスからは解放される。そして、現在の自分自身をまるごと受け入れることで次のステージ、未来へとつながる。    加藤政実

Imagin to future(WACNETNEWS2020年6月号)

 1971年にジョンレノンが作った「イマジン」ビートルズが好きだったわけではないが、この曲にひかれた。個人的には、ウエディングのヴァージンロードで使った曲でもある。
「想像してごらん天国のない世界を やってごらん簡単なことさ 僕らの足元に地獄はなく 見上げれば空が広がっているだけ 
想像してごらん 今日という日の為に生きている全ての人々を
想像してごらん国や国境のない世界を 難しいことじゃないよ 何かの為に殺したり死ぬこともない 宗教だってないんだ 
想像してごらん 平和に暮らしている全ての人々を
理想を語っていると君は言うかもしれない でも僕一人じゃないはず いつの日か君も仲間になってくれるといいな そして世界は一つになるんだ
想像してごらん 所有できるものがない世界を 貪欲になったり飢える必要もない 人はみんな兄弟で仲間なんだ
想像してごらん 全ての世界を分かち合う全ての人々を
理想を語っていると君は言うかもしれない でも僕一人じゃないはず いつの日か君も仲間になってくれるといいな そして世界は一つになるんだ」
ウイルスは46億年前から地球を生きてきた。土壌のウイルスネットワークは森を創り、動物に憑依したウイルスは、動物たちが絶滅していく中で行き場を失い、居場所を人間に求めた。私たちのミライをどのように描くか。習近平とトランプの対立、競い合うことではなく、地球規模で自然も動物も人もウイルスも共生できる社会。今回のコロナ禍は、家族の大切さ、命の尊さを学ぶ絶好の機会を私たちにメッセージした。Imagin to future  加藤政実

共生社会の実現へ(WACNETNEWS5月号)

平凡であるが今の暮らしが変わらないとみんなが信じていた時代。でもこんなにも身近に新型コロナウイルスが迫って来ようとは誰が予測したであろう。今日4月12日は、豊橋美術博物館でのアールブリュット展の最終日である。7日安倍総理から7都府県に緊急事態宣言が出され、10日には大村知事から緊急事態宣言が発令された。毎年美博では、1200名から1500名の入場者があるが、今年は514名に落ち着く。残念なのは、豊橋発の全国公募「第1回トヨハシブリュット作品展」が2度延期され次回の予定が立たないことである。
 生きる羅針盤が見えない時代がやって来ている。共生社会の実現へ、誰もがこのままでは続かないと思っている。日本では都市集中型社会から地域創生へ、1次産業と6次産業が融合する時代へ、労働者とAIは等価交換され、有り余る労働者をどのように活用していくか。人間として生まれてきた意義をどのように定義し、生きがいとして発展させるか。
最近、1万5000年前に定住が始まった日本の縄文時代に思いを馳せる。環濠の中に、竪穴住居、生まれてから亡くなるまでの生活があった。外をハラと言い、自然と共存し、どんぐり、栗など多くの樹木が森をつくり、山や野原にはイノシシや鹿がいた。多くを貪らず、必要なものを必要なだけいただく。世界でも唯一の狩猟漁労採集文明が日本列島を形成していた。私たちは、その時代に祖先をもつ、それぞれひとりひとりが末裔である。
加藤政実

新型コロナウイルス(WACNETNEWS2020年4月号)

パンデミック!新型コロナウイルスの世界伝播により社会は騒然としている。人と人との欲と欲、国と国との欲と欲、企業間の攻防、メディアも一緒になって煽る。国内では、東日本大震災の映像も流れ、思い出したくない人たちにさらに不安を煽る。実体経済の1.5倍の投資マネーが行き場を失い世界をさまよう。世界の基本通貨ドルは、足らなくなれば、どんどん発行し、アメリカ社会を守り、世界を混乱させる。そして世界の貧困層は増え続ける。さらにそれより高いレベルで日本のセーフティネットの人々は増え続けている。私たちが夢と描いた理想の社会に本当に今近づいているのか。ひとりひとり静かに自問自答したい。
 WACでは政治経済芸術の三権分立を唱えている。私たちと一緒に暮らす障がい者と言われる重度の人々「ひたすら人間的に生きる人たち」。彼らは、今社会で起きているいろいろな騒音に耳を貸さない。熱中できる興味のあるトコロでひたすら生きる。一人ひとりの感性が最高に生かされるのが芸術の世界ダ。私たちは15年前から豊橋・東三河を舞台に、一法人だけでなく多くの法人の参加のもとに、アールブリュット(障がい者アート)の世界を地域の人々に提案している。そのメインイベント「アールブリュットトヨハシ」がまもなく始まる。今年は全国発信の第1回トヨハシブリュットアートコンテストも加わる。
 傷だらけの地球は身体のバランスを取ろうと今必死だ。コロナウイルスだけでなくこれからも未曾有の災害や感染症など過去に例のない事件が起こるであろう。私たちは、今傲慢から謙虚に「ひたすら人間的に生きる人たち」から学ぶべきであろう。  加藤政実

アクシデントは突然やってきた(WACNETNEWS3月号)

 アクシデントは突然やってきた。某日JR金山駅夕方5時過ぎ、コンコースからプラットホームに向かう階段、上段すこし下がった所からいっきのバンデージャンプ転倒である。唇と口内は切れ、上歯は2本が抜け、右手は骨折ギブス、左手と左肘は挫傷。持っていた鞄は7,8メートル飛び、かけていた眼鏡も飛んだ。長く感じた空中遊歩の後グシャという音、一瞬の静寂と騒音、口の中で歯がジャリジャリ。起き上がり、気づいた老婦人がメガネと鞄を近くまで持ってきてくれた。名古屋駅に向かう車内では床にしゃがんでいた。名古屋駅でキヨスクに寄り、ポケットティッシュとマスクを購入。真っ赤になった口元をみておしぼりを大量に貰う感謝。豊橋までの移動中、洗面所で処置、洗面ボールは真っ赤か。自宅ヘはタクシーで戻る。夜半まで出血は止まらなかった。
 原因はどこにあるのか。中川区の訪問先から金山駅まで寒い中20分程歩いたこと。いやいや体力への過信、若い頃から持ち歩くフライトバックが重くバランスを崩した。原因は不明であるが私自身の注意不足であることに間違いない。その結果、両手の指が動かしがたい。ドアが開けれない。パソコンが打てない。文字が書けない。書いてもいびつになる。携帯はスピーカーでの交信でないと使えない。箸が使えない。スプーンとフォークを使う。など不自由さが顕在化した。
 今、ハンデキャップを抱えた人の日常を原体験している。高齢者や障がい者、シングルマザー、生活困窮者、外国人など、私たちは、彼らを我々が勝手に作ったイメージで理解する。しかし実は、彼らの不都合を解決することで、社会は進歩し、医療も福祉も産業も地域もより豊かになるのだろう。 
加藤政実

「みんなのしあわせ」(ALL FOR ALL)(WACNETNEWS2月号)

WAC農園の創世記を一緒に作った一人、Fさんからコールされたのが昨年7月、実はその1年前にも北海道からコールがあり、その時は受入の承諾を下せなかった。今回は、前回の反省もあり、1週間後とりあえず横浜寿町に向かった。横浜では、生活保護を使っていた為、一緒に豊橋市の窓口にでかけ、担当者と横浜市の担当者と電話回線をつなぎ、保護継続の手続きをするが、数日後本人は一人窓口に行きキャンセルする。12月も同様の手続きをするが、今度は本人が生活費をカードローンから引き出したため断念!
日本は行政窓口で生活保護申請が制限される機会が多い。しかも、生活保護を利用できる資格のある人たちの内、約15%しか利用されていない。スウエーデンでは8割、フランスでは9割が使う。もっと多くの人たちが生活保護を使っていいのに使わない。OECDひとり親及び子ども一人以上世帯の貧困率の統計がある。ひとり親家庭の内、母子家庭が90%以上、世界の母子家庭貧困率上位はスロベニア、スロバキア、カナダが占める。日本は唯一母子家庭で働いている人が、働かない人の貧困率を上回る国である。理由は簡単、ダブルワーク、トリプルワークと非正規でつないでいることが原因である。
 また、生活保護の不正受給が問題視されることもあるが、厚生労働省の調査によると、金額で0,5%、件数で2~3%である。日本では「働かざるもの食うべからず」の思想がある。崖の上で生活する我々は、いつ崖から落ち、這い上がれない状況の不安を感じながら生活している。子育ても、医療・介護、福祉もセーフティネットの充実が必要である。ひとりひとりが安心して暮らせる地域社会「みんなのしあわせ」(ALL FOR ALL)の実現にむけて少しでも努力したい。 
  加藤政実

中村哲医師の言葉(WACNETNEWS1月号)

 「誰もがそこへ行かぬから、我々がゆく。誰もしないから、我々がする。」アフガニスタン・パキスタンで、医療活動を中心に、復旧活動を行った中村哲医師の言葉である。「治療の前に水と食料が必要だ」「とにかく井戸を掘れ。お金はなんとかする。」「病気は後で治す。まずは人を生かすことを考えよう。」緑の大地計画はアフガニスタン東部の中心地・ジャララバード北部農村を潤し、2020年その最終段階に入る直前の昨年12月4日に中村医師は凶弾に倒れた。私がNPO活動をするにあたり、影響を受けたひとりである。
もう一つ彼が使ったフレーズに「一隅を照らす」がある。これは天台宗最澄の「山家学生式(さんげがくしょうしき)」の中の言葉で、私たちは、それぞれの心のなかに仏性という仏さまの性質を持っている。一人ひとりに本来具わっている大切な宝物である仏性を引き出し、磨き上げることが大切である。それぞれに一人ひとりの使命を自覚し、自分の仕事や生活に励むことが人間としての基本であり、一人ひとりがそれぞれの持ち場で最善をつくすことで、まず自分自身を照らす。そしてそれが自然に周囲の人々の心を打ち、響いて行くことで他の人々も照らしていく。そしてお互いに良い影響を与え合い、やがて社会全体が明るく照らされていく。
 私たちWACNET.は、令和2年も豊橋・東三河の社会課題・生活課題の中から解決すべきテーマを見つけ、地域にこだわり「一隅を照らす」。少し先の未来を描きながら、アーツ、農業6次、リユース、IT、住まいと想いをカタチにコーディネートしていく。   加藤政実

もったいないファクトリー(WACNETNEWS12月号)

ゴミゼロ運動の発祥地豊橋で昨年12月にスタートした「もったいないを ありがとう!」運動。いよいよ拠点となる店舗が瓦町交差点角に「もったいないファクトリー」として12月21日(土)にオープンします。
 お家で眠っていて今は使っていない衣類、生活用品、生活雑貨、キッズ・ベビー用品、おもちゃなどを無償で引き取り、海外と国内のセーフティーネットの人に無料で差し上げるサービスを提供。海外へは、アジアの国ミャンマーやマレーシアの孤児院で暮らすこどもたちに食事の支援と教育費の支援をしています。また、国内では、生活困窮者(生活保護)の方たちに古着や生活用品を無料で提供しています。
居住空間を清潔に保つことは、ダニの発生を防ぎ、健康な生活を維持するためにも大切なこと。一方、長年生活している住まいは、日常使わないモノ、不用なモノで溢れ大事に保管されているのが実態です。このようなモノたちは、将来のゴミの予備軍となります。環境を汚染し、CO2を発生させ、地球環境を悪化させていきます。
私たちの活動も、少しずつ地域に理解が進み、毎日大小は問わず、持ち込みがあります。12月から持込拠点を3箇所「もったいないファクトリー」「WACNET.本部」「茶亭おふく」に変更し、まとまった品物があれば直接訪問も可能です。また、活動に共鳴いただく企業、団体、個人の方に向けて地域の拠点「もったいないデポ」も募集中です。ホームページも12月よりネット上からのリクエスト、依頼が簡単できるシステムも動きます。  
加藤政実

障がい者アート美術館をつくろう(WACNETNEWS11月号)

豊橋市のシンボル石巻山にある元旅館石山荘の玄関切妻の屋根下に、50センチ大の大きなスズメバチの巣を発見。神郷区N自治会長さんからの依頼により、ゴーストバスターズならずホーネットバスターズを発動。音楽に合わせて危険を顧みず、なんとか除去する。
石山荘は4年前、オーナーである杉浦さんから立っての要望によりWACNET.が譲り受け再生プランを計画し、「石巻の自然森道パークプロジェクト」山上の核施設になる。アール・ブリュット美術館と体験多目的ホール、カフェ、宿泊棟の構成である。
当初、日本財団地域再生プランに応募。現地調査までは順調であったが、行政の支援を得ることができず断念。昨年は農水省農泊推進プランにトライするが、全国選抜に敗れる。今年は、クラウドファンディングと寄付からトヨハシブリュット「障がい者アート美術館をつくろう!」運動として再スタートさせている。
このアートプランは、WACNET.が12年前から始めている障がい者のアーツプログラムの一貫で東三河に山、森、海、街など複数の美術館と作品収納庫をつくり、地元だけでなく、全国から、アジアからも作品を集め、それが今後この豊橋・東三河のインバウンド観光資源となることをめざすものである。
もちろん、障がい者はじめ高齢者、生活困窮者の雇用の創出と障がい者アート作家の育成と報酬確保も同時に図る。10月15日からHPとスマホが連動したクラウドファンディングも始動。従来のアナログ的な寄付型ツールも配布中である。NPOが生み出すソーシャル・ビジネスは、市民が共鳴することで共生社会は生まれる。加藤政実

あなたの人生(WACNETNEWS10月号)

 自分自身の人生の棚卸しをする。これまでの自分はどんな道のりを歩んできたのだろうか。生まれてから今までの足跡・・。考えてみれば、生まれてからこの方、常に一緒にいたのは自分だけ。これまで一番輝いていたのはいつだったろうか。一番うれしかったできごとは?一番落ち込んでいたのはいつだったかな。忘れたいけど忘れられないできごとは?美化しちゃっても構わない。あなたのエッセンスを想いだしてみよう。
 現在の自分を見つめ直してみる。ちょっと立ち止まって、自分はどんな毎日を送っているのだろうか。どんな人とつながり、どんな居場所をもっているのだろうか。どんなこだわりもって、どんなことを楽しみにしているのだろうか?こころの中にどんな引き出しを持っているのだろうか。今つながっている人、それはあなたの財産。自分の中にいくつも引き出しがあれば、それぞれがセーフティネットの役割を果たす。もし、今自分の持っている資源が足りないと思ったら、これから掘り起こしてもまだまだ遅くはない。
 最後は、自分のこれからの未来図を描いてみよう。自分はどんな風に生きていきたいのか。今、思っていることがずっと続くとは限らない。どんどん変えても構わない。大切なのは、いつの瞬間も何かしらの夢や生きたいイメージを持っていること。こんなふうに暮らしたい。こんなことをやってみたい。こんなふうに家族や、友人、地域と関わりたい。
 立ち止まり、振り返り、もう一度トライする。あなたにとり、あなたにしかできない役割がきっと見つかる。ひとりひとりの自分には宇宙と同じ組成と可能性を秘めている。    加藤政実

元気な88才(WACNETNEWS9月号)

残暑の夏、台風10号の影響も去り、蝉の声と夏の日差しが厳しい日、駐車場工事中の豊橋斎場にいる。昨日早朝旅立たれたHさんに寄り添って・・・。2日前に誕生日を迎え、享年88才と2日。市内の地域包括支援センターからの紹介でスタート。白血病の診断を受けてから約1年、発熱と血圧の低下で8月1日に緊急入院。2日には、主治医から①緩和ケアを利用して緩やかに終末を迎える。②骨髄移植手術をし、放射線抗がん剤治療をする。の選択を受ける。Hさんは①を選択された。6日MRI検査により膵臓がんを発見。13日酸素呼吸血圧が下がり肺がん併発し、15リットルの酸素補給。その日緩和ケア病棟へ移動。19日呼吸器をつけっぱなしで大変苦しそうであった。個室に移動。20日7時に死亡確認。
私どもとは身元保証と緊急時の対応、病院への入退院支援、看取りと死後事務委任契約を交わしていました。10年前に伴侶をガンで亡くし、その後一人暮らしの Hさんは、あまりご自分の経歴の話をされない方でしたが、生きることには貪欲で、矛盾がありますが今いる病院から陽子線センターを完備するN病院へ転院や、新薬オブジーボの投与を最後まで希望されていました。短期間でしたが悪い時と良い時の波が激しく、その間で、任意後見や寄付手続を進めようとしましたが、公証人さんの出張でしか手立てがなく事切れました。
 人生100年時代、昔使われていた老衰(自然のまま亡くなる)は無くなり、最後は認知症またはガンを患いながら終末を迎えることを念頭に、一人ひとりは、早めにリビング・ウイルノート(エンディングノート・生きる意思を記したノート)を準備されたい。                            加藤政実

93才大往生(WACNETNEWS8月号)

 4年前、岡崎の包括支援センターからの紹介でスタートしたHさん。享年93才9ヶ月の生涯を7月13日夜半に閉じられました。5月21日緊急入院するまでは、一人暮らしで毎日の散歩も欠かさず、食事も自炊で自立。介護保険は要支援2でした。Hさんは、任意後見は使わず、身元保証と緊急時の対応、病院への入退院支援、看取りと死後事務委任契約を交わしていました。
 最初の一報は、担当ケアマネから、往診医の緊急搬送で病院の救急治療室へ、医師の面談、検査など繰り返し救急病室へ移されたのは到着から7時間後、一般病棟に移されたのは翌日でした。その後本人が治療における検査を拒否したため、治療は打ち切られ、約1ヶ月後には転院。介護保険は要介護3になりました。食事は半膳に、最後は栄養補給剤を・・。状態は日によって一進一退。15回の訪問時、認知を感じる時もありましたが、パンパンになった足をさすったり、感謝の言葉もたくさん頂き、いろいろな話も聞かせていただきました。
 残念だったのは、病院の転院が短期間に続いたこと。実は17日にも次の病院施設に転院する予定でした。そして転院を受入れる病院施設に金銭のみで簡単に断られたこと。これはある面では、地域に私たちの仕事と連携が根付いていない現れかもしれません。また、死亡届の届出人に、親族、後見人以外に身元保証人等が法律的に該当しないため、火葬許可証などに時間がかかること。周りに身寄りがいない一人暮らしが多くなる世では、任意後見は必要不可欠に思われる。最後に銀行からの現金の出し入れも大変でした。Hさんの病名は胃癌。加藤政実

オーガニック(WACNETNEWS7月号)

日本で使われている「オーガニック」は有機農産品及び加工食品をいい、化学物質である農薬、化学肥料を使用する現代農業に対してそれらを排除し環境に配慮したモノ。世界各国には300を超えるオーガニックの認定機関があり、おおむね「3年以上農薬、化学肥料を使用していない農場で栽培され収穫されたもの」と言われている。
 一方、現在世界で使われている「オーガニック」は、少し様子が違う。対極の言葉として地球環境を中心とした考え方の「エコ」「グリーン」。エコカーでありエコタウンでありグリーン・ツーリズムなどで表現される言葉に対して「オーガニック」は、人間という一個人を中心とした考え方をいう。オーガニックの国ニュージーランド。日本と反対の南半球にあるこの国は高速道路や鉄道がない。あくまでもくねくね曲がった道が自然の景観を生かし続く。天然の港湾、町並みが自然の中に生きる。日本が山にトンネルを掘ったり、自然を破壊して利便性を優先させた姿はない。移動は車と飛行機。
「オーガニック」は個人のライフスタイルをいい、個人でできることを始める運動として展開されている。アメリカ西海岸カリフォルニアから東海岸へ、そして金融バブルの、シティがあるロンドンへ、そこは実体経済から逸脱した資本主義や大量生産・大量消費のライフスタイルが支配した20世紀から、人間らしい生活を取り戻そうとする人々の姿であった。
日本でも、有機農業という狭い捉え方ではなく、持続可能な社会をめざす一人ひとりの行動として多くの人々に期待したい。WACNET.はこれからもその発信元として行動したい。
加藤政実

雨の季節小椋桂(WACNETMNEWS6月号)

雨の季節を迎える。最近は気候変動で季節が行ったり来たりする傾向はあるが、この6月は好きな月の一つでもある。半世紀前、数ある日本のシンガーソングライターの中で一番惹かれたのが小椋佳。彼の曲の中に「六月の雨」がある。
六月の雨には 六月の花咲く 花の姿は変わるけれど 変わらぬ心を誓いながら いくつ春を数えても いくつ秋を数えても 二人でいたい
そよ風は見えない 幸せも見えない 愛の姿も見えないけれど 見えない何かを信じながら いくつ春を数えても いくつ秋を数えても 二人でいたい
5年前古希を迎えた彼は、小椋佳生前葬コンサートをNHKホールで開催した。全2000作品の中から毎日25曲4日間で計100曲を歌い上げた。「僕は白洲次郎同様「葬式無用 戒名不用」と考えていますが、家内は常識人なので、僕が死んだら きっと人並みの通夜や告別式をやるつもりでしょう。僕としてはそんな煩わしいことを家族に押し付けるのは本意ではないので、僕が生きているうちに済ませてしまおうと思いました。」(小椋)彼の曲は、デビューからしばらくレコードのみでしか聞けず、そういえば最初のステージがNHKホールであったことを思い出した。そして私自身がTVを見入った記憶も同時に蘇る。
人はいつか旅立つ。人生のいろいろな場面を紡ぎながら演じながらいつか天空へ逝く。しかし人生のけじめもつけずに旅立つ人たちのなんと多いことか。年老いた人や生活に困った人たちも、最後は、安心して幸せに旅立てるそんな社会を描き創りたい。至福の命である。                        加藤政実

WACNET. vison to2030(WACNETNEWS5月号)

WACNET. vison to2030
愛は国境を越えていく
地域のしあわせ!世界のしあわせ! from加藤政実
未来がどうかわるか。誰もわからない。今ある現実を踏まえて明日があると信じる。多くの市民が明るい社会を描けば必ず未来は明るい社会となる。
日本は74年前(1945年)、モノとおカネの価値を一番とした社会へと舵を切る。もう少し遡れば150年前(明治維新)私たちの先達たちは文明開化として西洋に追いつく道を選択する。モノを中心にしたモノづくり大量生産大量販売の経済システムは、一度は成功したかと思えたが、実は日本の精神性、習慣、倫理観、家族制度などそれまでの地域社会、家族関係を崩壊させた。今、私たちは呆然と崩れ去った社会を俯瞰する。超高齢化少子化社会、人口減、児童虐待、シングルマザー、孤独死、介護放棄、老老介護、認知症、精神障がい25%、発達障がい急増、農薬、薬物依存、一人暮らし世帯35%などなど。
WACNET.グループは、対処法としての地域社会での地域課題、生活課題に向き合いその解決のため20年間活動をしてきた。世も平成から令和へ、新しい息吹を感じながら、次の時代へ向かう。生活圏コミュニティの形成と地域創生(地域社会の機能復活)。一人一人が孤立しない生活圏コミュニティ、医療福祉と産業が程よい関係を保つ。一人一人が精神性を保つには程よいスケール感と目に見える距離感が必要であり、その先に生活圏コミュニティと生活圏コミュニティが集まることで地域圏域が作られ、目に見える範囲で地域経済も動いていく「持続可能循環型地域社会(SROC)」。次の時代、私たちはグローバル化する世界(グローカル)と人間が人間らしく生活する生活圏コミュニティを同時に手にすることで、快適な人生を歩むことができる。その大きなチャレンジが今始まる。日本の豊橋市向山・旭地区から・・・
今地域にある問題・課題は、資本主義の終末現象あり、今絶頂期にある中国を含め、今後アジア各国においても必ず起こる現実でもある。今あるこの痛みは、この壁を乗り越えることで、そこにノウハウとシステムが生まれ、多くの国で将来起こるであろう出来事に向けて日本人としての役割が生まれる。絶望的と考えるよりポジティブに、今こそ地域の課題、日本の課題に向き合うことでマーケットは生れ、解決することで市場は拡大していく。これから活躍を期待される人にとり未来は非常に明るい。時代は創るもので与えられるものではない。
WACNET.Visonは、生活圏コミュニティを小さくつくり、お互いがたすけあいシェアし人間らしさを優先する世界を描く。そこには高齢者、障がい者、生活困窮者、シングルマザー、外国人など差別はなく、共に生活したすけあい暮らす。そして目に見える産業がそこにある。ディーセント・ワークがありNPO 発のベーシックインカムがある。そして、その地域にあった形で地域を活性化し、個性あるまちを誕生させ、人々の暮らしを豊かにする。その先には、世界のまちを活性化させ、人々の充実した生活を実現させる。「愛は国境を越えていく地域のしあわせ!世界のしあわせ!みんなのしあわせ!」
                                              加藤政実

アールブリュット豊橋(WACNETNEWS4月号)

8年目を迎える「アール・ブリュット豊橋」今年も主会場の豊橋美術博物館の1週間の特別展示をスタートに約1ヶ月豊橋市新城市内で開催します。障がいを抱えた方たちの地域での自立を支援する活動の中で、彼らの潜在能力を活かせ、さらに豊橋が元気になる方法をいろいろ考えていく中でこの展覧会は生まれました。
アール・ブリュットとは、既存の美術や文化潮流とは無縁の文脈によって制作された芸術作品の意味で、英語ではアウトサイダー・アートと呼ばれます。加工されていない生(き)の芸術、伝統や流行、教育などに左右されず自身の内側から湧きあがる衝動のままに表現した芸術で フランスの画家ジャン・デュビュッフェによって考案されました。
私どもの法人でも、生活介護事業の中で、ドローイングだけでなくクラフトや織物、そして音楽パフォーマンスまで活動に取り入れています。今年も多くの作品が全国から豊橋にやってきます。4月9日から14日の特別展示期間が最適ですが、それ以外でも私どものWACアグリカフェ、みんなの居笑、新城のくらサポカフェに一部を展示します。素晴らしい彼ら彼女たちのパフォーマンスを是非堪能ください。また、4年前から石巻山にアール・ブリュット美術館をつくる運動や東三河の海やまちに同美術館をつくり、街を元気にしていく活動を継続的に続けています。興味のある方はお尋ねください。ボランティア、プロボノ大歓迎です。                                                           加藤政実

SDGs(WACNETNEWS3月号)

2015年9月25日国連総会で「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ」を採択。その中核が2030年を達成目標とする17のゴール(目標)と169のターゲットからなるSDGsです。※SDGs(Sustainable Development Goals)
私たちWACNET.グループは、今年SDGs17の中から特に1.2,3,4及び8の社会課題の解決のためにNPOとしてゴールをめざすことを決めました。①あらゆる場所で、あらゆる形態の貧困を終わらせる。②飢餓を終わらせ、食料安全保障と栄養改善を達成するとともに、持続可能な農業を推進する。③あらゆる年齢のすべての人の健康的な生活を保障し、福祉を促進する。④すべての人にインクルーシブかつ公平で質の高い教育を保障し、生涯学習の機会を促進する。⑧すべての人のための持続的、インクルーシブかつ持続可能な経済成長、生産的な完全雇用とディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)を推進する。
 この豊橋から小さな地域モデルをつくり、高齢者も障がい者もシングルマザーも外国人もともに働き、住まい、シェアする街をつくっていく。ひとりひとりが孤立しないように世代間を越え、こどももおとなも楽しくコミュニケーションでき暮らせる街をめざす。12年間培った農薬を使わない農業の実践と新しく始めた「もったいない」ありがとう運動、そして自由な感性で描く「ARTBRUT」の世界。WACNET.は2030年をめざします。

居住支援法人(WACNETNEWS2月号)

みなさん「居住支援法人」てご存知ですか?
国が2017年10月に「民間賃貸住宅や空き家を活用した新たな住宅セーフティネット制度」を施行。日本では、住まいが決まらないと公的なサービスを利用することができません。賃貸住宅に住みたいと思った時、一つのハードルが身元保証、高齢で一人暮らしの方、透析治療が必要な方で、病院の近くにアパート借りようとした時、また、障がいを抱えた方やシングルマザーなど。また、高齢者の方や障がい者の方が病院に入院したり、施設に入ろうとした場合も含まれます。
この制度は、国交省が主管し、高齢者や低所得者、子育て世帯等の住宅確保要配慮者に対し、入居を拒まないように、また、国内の空き家を減らすように、不動産業者、国、県、市町福祉住宅課等が情報の共有・連携を図って進める事業で、その中心に位置するのが「居住支援法人」です。昨年、7月一次認可を受け、「たすけあい居住支援センター」として、困った時の住宅相談や身元保障・生活支援・見守りなどを行っています。毎月第2第4火曜日は、「住まいの相談会」を開催、3月1日には、カリオンビルで「居住支援フォーラム」の開催を予定しています。
地縁血縁が気薄になっている今、誰でも参加できる地域コミュニティの復活と、困っている人々でも安心して住み続けられる環境を市民みんなで創っていきましょう。

創立20年初心に帰る(WACNETNEWS1月号)

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
NPO活動の創始者たち、70代80代のおばあちゃま、おじいちゃま諸氏から加藤さん20年経ったら景色が変わるから、行政も市民も振り向くよ!励まされて今、やっと2019年1月5日で20周年。早いなという感覚といろいろごちゃごちゃとやってきてしまったという反省と入り交じる。これから20年先の風景を想像しながら毎日を楽しんで生きる。
 今、「高齢者も障がい者もともに地域でシェアして働き生きる共生型モデル」を小さく創ることを目標に取り組んでいる。向山地区と旭町地区に誰でもいつでも出会える居場所「みんなの居笑」を中心に、高齢者や障がい者や外国人、学生などが賑やかに過ごせる長屋のような住まいを創り、新しい仕事にチャレンジする起業家や障がい者や元気な高齢者が働く場も創る。一人暮らし世帯が35%の日本であるが、地域が暮らしがつながるマチを描いてみたい。
その先に、1945年以来の働き方に対して、人間本来の生き方が反映するマチがあり、この活動が東三河のまちづくりの原点になり日本を変えていく。オーバーかもしれないが、70年の時間の経過を次の10年に、新しくつながる世界への入り口。ポスト資本主義。どきどきするステージが変わる世界を体験できるなんて喜び。そして20年後。WACNET.イズムが人々とともに歓喜の渦にあることを信じて・・・              

もったいないファクトリー(WACNETNEWS12月号)

日本には昔から「もったいない」というものを大切にする感覚があります。毎日の食事をいただくのも自然の恵みに感謝し、大切にいただく。食べ物を残さない貪らない。道具を大切に使う。文房具からバック、衣料、日用品まで長く使う習慣がありました。ここ何十年は飽食の時代が続いています。使っては捨てる時代はゴミで溢れています。それを処理するのにも多くの時間とエネルギーとお金がかかります。
また、処理されないゴミは海洋を汚し、北太平洋には日本列島の10倍の巨大なごみ渦が生まれています。海に溶け出したマイクロプラスチックは、プランクトンとともにクジラやマグロ、など海洋生物の体内に、そしてその食物連鎖の行く先は、人にこどもに引き継がれます。消化不能のペットボトルのキャップなどプラスチックが胃に溜まった海鳥やウミガメの餓死体が今世界各地で発見されています。
今年、私たちは、ミャンマーのこどもたちの孤児院をつくる活動を続ける(一社)もったいないボランティアプロジェクトと出会い。彼らの活動に強く共鳴し、WACNET.グループとして発展途上国のこどもたちを支援する活動を始める決意をしました。「もったいない」の理念とともに福祉の世界への門戸を開き、日本のこどもたちの未来も創って行きたい。  

WACとの出会い (WACNETNEWS11月号)

1995年ある住宅設備メーカーから講演依頼をうけ、静岡県沼津市を訪れていました。大きな体育館を会場に、住まい系の色々なブースの中で、ひときわ目立つブースがありました。大きなゴーグルを付け、足首に重りを付け、重いライフジャケットを着込み、杖をついて歩いている人たちの集団でした。当時この「高齢者疑似体験」を運営していたのがWAC(社団法人長寿社会文化協会)でした。当時は面白いことをやっているなという印象でその後、福祉住環境コーディネーター資格の普及活動に関係することになり、少しずつ福祉の道に近づいていました。 2000年を前に、WACのことが気になり調べてみると県内には、岡崎の歯医者の永坂さん、名古屋栄で看護師の松田さん、緑区の渡部さん、大府の川上さん、知多の松下さんと今の愛知県のNPOとして地域づくり、たすけあい活動や介護保険を担っているそうそうたる人たちが、そこにすでに存在していました。そして、2000年1月、東三河にWACの拠点をスタートしたのです。最初は、人材育成として、ホームヘルパー養成講座を運営し約4000人を育成。今では当たり前の総合事業の中心、時間預託のたすけあい活動を開始しました。現在のミッションは、2021年までにまちづくり「高齢者も障がい者もともに地域で働き生きる共生型モデル」を創ることです。          
加藤政実

保育 (WACNETNEWS 10月号)

往年の名画木下恵介監督高峰秀子主演「二十四の瞳」にあやかれば「28のひとみ」今年3月に瓦町交差点角に「おひさまこども保育園」を開設しました。安倍総理肝いりの内閣府が、働く女性を応援する保育園として0才から3才までのこどもを対象に、親と子の強い絆と限りない愛が必要な時期を担う保育園です。現在14名のこどもたちが元気に毎日を過ごしています。
地域を元気にするためには、今働く人を増やすことも大切ですが、未来の担い手をしっかり育てることも大切なことになります。この時期のこどもを家族が支えた時代はもう終わっています。父親が育休を取りやすい環境でもありません。シングルマザーを始め高齢者など一人ぐらしの世帯が全体の35%を占めています。東三河には、この国の制度を使った保育園は全部で3箇所(企業内2,NPO1)。しかし国内では約5000箇所の新しい保育園が生まれています。3才から現在の幼稚園、保育園へうまく橋渡しができる素敵な保育園がこの地域にもたくさん生まれることに期待します。
地域の問題課題を解決して、しあわせな地域社会をつくるために生まれたNPOとしては、昨年4月から始めている働くお母さんに変わり定時の夕食を提供する「こども食堂」や放課後の学童保育の8時までの時間延長など新たな取組を通して、大石先生とこどもたちのように、未来の豊橋を描いています。             加藤政実

有機農業 (WACNETNEWS 9月号)

2007年3月豊橋で第35回日本有機農業研究会全国大会が開催された。テーマは「自然の叡智に学んで農と食から循環の暮らしへ」2日間参加した後、障がい者の就労に有機農業を取り入れることを決めました。当時、豊橋有機農業の会主宰の松沢さんや平尾さんなどメンバーの方や当時県職員を退職されたばかりの石巻の加藤さんなどの協力を得ながら10月WAC農園を牛川町沖野でスタート。1年半は自らも汗をながしながら1からメンバーやスタッフと一緒につくりあげていきました。今は、WACアグリカフェのエントランスになっている場所は、以前は苗作りの拠点で野菜のポット苗が一面に広がり壮観でした。夏の夕方水やりに励んだ日々が思い出されます。東大清水のハウスは、当時骨だけを残した樹木がノッキノキの荒れ放題の荒野でした。メンバーと一緒に約2ヶ月をかけて西部開拓史ならぬWAC開拓記をノートに綴った記憶もあります。今は3.6haの耕作地といえば順調にみえますが、実は今大きなターニングポイントに来ています。
今リーダーとなり得るスタッフを探しているところです。組織はいつもそうかもしれませんが、人が増えることにより当初のエネルギーというか。ミッションを持ち同じ目的に向かっていた人たちが、組織の中でサラリーマン化するというか。平均化していくものなのかもしれませんが、今がWAC農園にとりWACNET.にとり正念場。私たちは、地域社会をしあわせに活性化するため、地域の社会課題・生活課題を解決するために生まれたNPOであることを忘れないでいたい。

加藤政実

第9回目を迎えるとよはし音楽祭(WACNETNEWS8月号)

昼間はカラッと冬晴れの寒い日、夕方音楽祭も終了し、片付け最後の点検をして、帰り支度ホールから駐車場へ向かい歩いていました。一人佇むEさんを見つけ声をかけ、「どこか体でも悪いですか。」石川県から参加のEさん「今日は本当にありがとうございました。」「今日音楽祭に出演できたこと。ここまで来れたこと。ほんとうにうれしのです。ここから離れたくない気持ちでいっぱいなのです。」その後、いっしょにその場でしばらく過ごし、豊橋駅まで送り別れました。手探りでスタートした「とよはし音楽祭」ですが、来年もやろうと決めた瞬間でした。 こころの病を抱えた方が社会復帰のきっかけになればと始めた「とよはし音楽祭」、全国から新しい作品(作詞作曲演奏)で応募し、応募者の中から選ばれた10~12作品の方が、年に一度豊橋市に集まり披露するイベントです。今年も8月1日から公募期間が始まっています。 今年で9回を迎えるこの音楽祭、未だかつて豊橋市民文化会館大ホールを満員御礼にしたことはありません。今年こそ、市民の皆さんの協力を得て、満員御礼にしたいものです。ハンデキャップを抱えた人たちが、社会へ一生懸命出てこようとしています。私たち豊橋市民も、温かい心で、もてなして行こうではありませんか。私たちのめざす社会は、共生社会。おじいちゃんも、おばあちゃんも、こどもたちも、若者も、ひとりぼっちにならず、誰もが安心して生活できる場所。ひとりひとりが周りに関心を持ち、自らコミュニケートし、日本一楽しい街を作って行きましょう。今とよはしの市民力が試されています。加藤政実

旧生活家庭館への応募 (WACNET NEWS 7月号)

 3月31日付中日新聞に「豊橋・旧生活家庭館 きょう閉館」の記事。市は以前は解体方針を示していたが、現在は閉館後の建物三棟を活用する民間事業者募集中で4月27日までに応募を受け付け、審査を実施後、早ければ6月に民間事業者を選ぶという内容でした。WACNET.でも検討し、早速応募することに決定。タイトルは「アートポイント高師の森」アートを体感し、学び、交流する場所。―本館1階 アール・ブリュット常設ミュージアム「森のミュージアム高師の森」、地域の高齢者子育てママこども食堂「みんなの居笑高師の森」、「カフェ高師の森」、2階「アートアトリエ」(工房)他別棟紙面上未記載
モノづくりをシステム的に動かすための社会は、ひとりひとりを、金太郎飴のように同じようにすることで、効率を高め、それで利益を上げることを考えます。その結果、知識はあるが、人と人とのコミュニケーションが苦手であったり、指示したことしかできなかたり、ストレスに非常に弱い人たちが多くなりました。
今、私たちの社会は、パラダイム・シフトが起こり、AI,IOT,RPAとロボットの時代が近づいています。ロボットのようになってしまった人とロボットを、リードしていくリーダー、地域社会をコーディネートしていく人財、それには、対応力、発想力を備えたクリエーターの出現が必要となります。
WACNET.の今まで培ってきた「アート」を基本に、「アートポイント高師の森」は、ひとりひとりが歯車でなく考える力を磨く。おとなからこども、障がい者でも、認知症でも、外国人でも、誰でも参加できる。アトリエ(工房)は、教室であると同時に利用時間制限がなく、指導講師が外国人であったり、日本人であっても、通訳がついて一緒に語学も学べるなど。
コンセプトは、①アートは芸術 芸術をアートとして捉え市民が自由の創作活動できる場所であり、日本人・外国人が多世代で交流できる場所をめざす。 ②アート✕コミュニケーション 芸術活動を教える手段として言語を日本語の他に多言語で指導する体制をめざし、教えたり教えられたり立場が変わることで新たな気づきを発見できる場所 ③アート✕地域ネットワーク 高師校区のみの連携でなく、豊橋南部地区一体との連携、また、駅前中心市街地との連携により起点としての機能をめざす。④高師緑地で体を使い運動に興じ、自由な発想のもと、脳トレーニング。そして自然の治癒力、ゆったりとした時間の流れにココロを託す。
計画は10年間の事業収支 利益約60,000(千円)を計上。内20,000(千円)初期リフォーム費用。10年後解体費40,000(千円)※解体しなければ利益40,000(千円)5月23日結果通知書が届き落選。応募者2団体とも最低基準点(50点)満たさなかったため落選(理由)
加藤 政実

ご挨拶 (WACNET NEWS 6月号)

 いつもご愛読ありがとうございます。今回から新しくコラム欄を設けました。私たちWACの活動を少しでも身近に感じていただければと思います。WACは今年で活動を続けて19年と6ヶ月になります。2000年1月介護保険ができた年、東京のWAC(社団法人長寿社会文化協会)の一番ヶ瀬康子先生をお尋ねしたのがきっかけです。この地域では田原市福祉専門学校を作った人としても知られています。WACが何をやっているのかわからない?と言われる方、PR不足で失礼します。WACは豊橋市向山で生まれた小さな小さなNPOからスタートし、常に考えてきたのは、地域の社会課題、地域課題を解決すること。地域のたすけあい活動、高齢者の支援から、ある時筋ジストロフィーのSさんとの出会いから約1年後、障がい者支援へと進みました。製造業の破綻の時は、多くの派遣労働者の方の帰宅支援を、また、高齢者や障がい者のアパート入居への身元保証、一人暮らしの方の成年後見など、最近では、引きこもりや、高齢者の生活困窮者の方への支援も積極的に行ってきています。私たちの目的は「みんなのしあわせ」私たちと一緒に働く仲間でありその家族そして私たちが生活する地域のしあわせづくりを市民の手で作って行こうとしています。介護保険の要支援がなくなったのをきっかけに、昨年4月から向山大池町に地域の居場所「みんなの居笑」を開設。地域のお年寄りからこどもたちまでみんなが学び、交流する場所を作りました。まだ一度も訪れたことのない方是非寄ってみてください。もちろんボランティア参加も大歓迎します。これからもっともっと地域のことを市民が考え育て理想的なまちをみんなで一緒に考え行動していきましょう。 WACNET.代表加藤政実